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蜘蛛何と 音をなにと鳴く 秋の風 [芭蕉]

くもなにと ねをなにとなく あきのかぜ


延宝8年(1680) 37歳


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枕草子の芋虫蓑虫が鳴くというエピソードへの返歌だという。
一種の問答体で芭蕉の先駆的作品だそうだ。

元の枕草子では、鳴くはずのない虫を秋に鳴かしている。
日本文化の通底を表す、古今の歌だという。
それを景教の影響も感じるのかもしれませんと控えめに解説される。

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秋には、蜘蛛が鳴く 言の葉庵 市中の閑居









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谷宗牧 [戦国]


 もみぢ葉は 常なき風に ちりぬとも なほ木のもとを あはれとは見よ


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戦国の連歌師、天文(1532)より、第一人者だったという。
三好長慶、尼子晴久、北条氏康ら大小名、名族に厚遇されたそうだ。

もみじ葉と木ですが、人間にもなのでしょう。

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谷宗牧と蕨餅




p241
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韋員外家花樹歌 <岑参> [漢詩]

  

今年 花は 去年に 似て 好く
去年 人は 今年に 到りて 老ゆ
始めて知る 人は老いて 花に如かざることを
惜しむ可し 落花 君 掃ふこと莫かれ
君が家の 兄弟  當る可からず
列卿 御史 尚書郞
朝より回りて 花底 恆に 客を會し
花は 玉缸を撲ちて 春酒 香し


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落ちた花びらをそのままにして欲しいとお願いする歌。
花は毎年咲くが、人間は年齢を重ねる。
そのままにしておくことで、自分も時間が止まる心地を味わいたいという
ことなのでしょうか。

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韋員外家花樹歌(韋員外家の花樹の歌) takebayasiのブログ






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275 いづくにか我が宿りせむ 高市黒人 [万葉集]

 いづくにか 我が宿りせむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば (275)

 妹も我れも 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつる (276)

 早来ても 見てましものを 山背の 多賀の槻群 散りにけるかも (277)

           

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現代では野宿の心配をする必要は考えにくいのでしょうが、
当時の旅の最大の関心は宿のことだったという。
1人旅で津軽海峡まで往復した際、仙台駅の改札前で寝たことがありました。
23の頃でした。私は無事でしたが貧相だったからでしょう。

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古典に親しむ





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夏の月 御油より出でて 赤坂や [芭蕉]


 なつのつき ごゆよりいでて あかさかや


延宝8年(1680) 37歳


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 宿駅間の距離が約1.7km と東海道でもっとも短いという。
芭蕉は夏の月を御油-赤坂間にたとえた。
これも旨いです。

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音羽華炎









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良寛 [江戸]


 形見とて 何か残さん 春は花山 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉


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「散る桜 残る桜も 散る桜」で知っていた程度ですが、今回は辞世。
明治天皇が毛利邸に宿泊された時の部屋に良寛辞世の句が飾られている。


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五季逍遥のブログ




p244
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曲江 <杜甫> [漢詩]

  

朝朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(にちにち)に春衣(しゅんい)を典(てん)し
毎日(まいにち)江頭(こうとう)に酔(よい)を尽(つ)くして帰(かえ)る
酒債(しゅさい)は尋常(じんじょう) 行(ゆ)く処(ところ)に有(あ)り
人生七十(じんせいしちじゅう) 古来稀(こらいまれ)なり
花を穿(うが)つ蛺蝶(きょうちょう) 深深(しんしん)として見え
水に点(てん)ずる蜻點(せいてい) 款款(かんかん)として飛ぶ
伝語(でんご)す 風光(ふうこう)共に流転(るてん)す
暫時(ざんじ) 相賞(あいしょう)して相違(あいたが)う莫(なか)れと


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「古稀」の由来だが、酒のツケがあるが、どうせ長生きしないのだし踏み倒そうとのことのようだ。


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漢詩の朗読 左大臣光永






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274 沖へな離り 高市黒人 [万葉集]

我が舟は 比良の港に 漕ぎ泊てむ 沖へな離(さか)り さ夜更けにけり
           

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比良は琵琶湖西岸の比良山あたりだという。
「沖へな離り」の「な」が禁止で、現在とは違い動詞の前にもってくるようだ。
宿の決まっていない旅の不安を歌っており、黒人らしい歌でした。

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古典に親しむ



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あら何ともなや きのふは過ぎて 河豚汁 [芭蕉]


 あらなんともなや きのふはすぎて ふぐとじる


延宝5年(1677) 34歳


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 これは旨いですね。この年に宗匠立机を決意したという。
意味と読み方を調べたばかりの漢字を使うのは気持ちいいものです。
河豚汁を詠んだ句が多いのに驚きでした。
さすが芭蕉、最上位でした。

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芭蕉db


河豚汁  575筆まか勢









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山城屋和助 [明治・大正]


 ほまれある 越路の雪と 消ゆる身を ながらへてこそ 恥しきかな


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 単に巨悪と決めつけるのは見誤るようだ。
奇兵隊での戦闘参加数82と随一で山縣有朋の信頼を得たという。
維新後に生糸貿易商となり衣服や軍需物資を陸軍に納める。
軍に備蓄している外貨を寝かせておくと相場の変動で目減りするから、
運用して儲ければいいという考えがあったようだ。
他藩他人からすれば、けしからん話ではあるが、彼と飲食を共にした者にとっては、
頼もしい男だったのでしょう。
綺麗な辞世を遺し陸軍省の一室での死は、奇兵隊時代から命がけで生きてきた「誉れ」
を飾るに相応しい死に場所としたのやもしれません。

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1872年に日本人がパリを豪遊した 「山城屋和助事件」を知らないとヤバイ! DIAMOND online


【連載】第4回 立身出世は正義か悪か――山城屋和助『萩の露山城日記』 | ゆらめく勧善懲悪 2代目松林伯円の講談世界(目時美穂)



p181
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