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三好康俊 [戦国]

 みよし野の 花の数には あらねども

  散るにはもれぬ 山桜かな

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 謙虚な辞世でした。
wiki先生によると、父康長はキリシタンになったという。
息子の俊長が山内一豊に仕えたという。
『信長の野望』で遊んでいた頃は三好家は旧勢力として潰す対象でしかなく、
プレイする大名として選択したことはなかったと思います。浅かったですね。

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三好康俊 辞世の句 ぴぴ@相模国



p38
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87. 寂蓮法師 [百人一首]

 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に

  霧立ちのぼる 秋の夕暮れ


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 いろいろ知識となる歌でした。「村雨」がにわか雨だが、他にも秋に降る雨の表現があること、「霞」と「霧」の季節で使い分けること、
真木が杉や檜の常緑樹で、寂蓮は紅葉を使わなかった。
ググると落葉樹は鮮やかに赤や黄となるが、杉・檜は緑で古くなれば茶色くはなるようだ。
また、カメラを白露にズームインして、山全体へズームアウトする歌だという。

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三好長治 [戦国]

 三好野の 梢の雪と 散る花を

  長き春とは 人のいふらむ  


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 10歳で家督を継いで賢臣が支えても、疎ましく思い讒言を採用し追い込む。
少年への牛裂き刑など若くして殺人に快感を覚えてしまったのでしょう。
悪霊そのものの所業であり、滅びは必然なのでしょう。

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戦国一の暴君!?天下の三好家を没落に落としいれた三好長治とは?



p38
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86.  西行法師 [百人一首]

 嘆けとて 月やは物を 思はする

  かこち顔なる わが涙かな


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 北面の武士だったが、23で出家したという。
「月」の歌を多く詠んだという。
西行はサラッと綺麗に詠っているので、僧侶の恋歌であろうが納得してしまいますね。

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安宅冬康 [戦国]

 因果とは 遥か車の 輪の外を

  廻るも遠き みよし野々里

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 歴史にIFがあるならと考えるならば、三好長慶をと思わずにはおれません。
一族の死が重なり、正常な判断ができなくなった長慶が弟冬康を殺めた。
信長へ主役を譲ったようなものでした。

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「安宅冬康」兄長慶に殺害される!穏やかで和歌を愛した仁慈の武将 戦国ヒストリー



p38
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85. 俊恵法師 [百人一首]

 夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで

  ねやのひまさへ つれなかりけり


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 「ひま」が隙間で、寝室の隙間でさへ「つれない」としている。
思う人がつれないのとを掛け合わせた見事な歌なのでしょう。
が、東大寺の僧侶が女性となりこういう恋歌を詠うことに驚く。
現代なら晒されてネットで騒ぎになるやもしれません。。

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三好実休 [戦国]

 草枯らす 霜又今朝の 日に消えて

  報のほどは 終にのがれず


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 三好長慶の弟。父元長が管領細川晴元の重臣だが自害に追い込まれる。
その元長攻めに反対した細川持隆を主君に持ち恩もあった実休だったが、
何らかの理由で殺害する。それが「報」だという。
自分で許すことのできないことだったのでしょう。

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三好実休の辞世 戦国百人一首93  明石 白(歴史ライター) 明石 白(歴史ライター)



p38
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84. 藤原清輔朝臣 [百人一首]

 永らへば またこの頃や しのばれむ

  憂しと見し世ぞ 今は恋しき


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 歌の意そのものは、シンプルなものだが、
それを綺麗に歌にしたところが素晴らしいのでしょう。
定家も心動かされるところがあって採用したのでしょう。

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相模三浦氏 [中世]


 討つ者も 討たるる者も 土器(かはらけ)よ

  砕けて後は もとの土くれ
                 三浦義同(よしあつ)


 君が代は 千代に八千代も よしやただ

  うつつのうちの 夢のたはぶれ
                 三浦義意(よしおき)


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 1247年の宝治合戦で三浦一族が滅ぼされたが、庶流の盛連系が生き残り三浦氏を再興する。後に扇谷上杉氏に仕えるが、時高に子がおらず主家から養子を迎える。
が、北条早雲に敗れることになったという。

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扇谷上杉家に仕えた相模の名家、後に早雲により滅ぼされる 相模三浦



p28
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83. 皇太后大夫俊成 [百人一首]

 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る

  山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる


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 「道」は逃れる道で出家を意味するいう。定家の父が27で詠んだ歌だが、
この時代の27は出家を考える歳だった。実際の出家は63歳だという。
そういえば私も23~24の頃に出家願望が生じ悶々としていたが、
いつの間にか、そんなことは忘れ現在に至る。

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