春や来し 年や行きけん 小晦日 [芭蕉]
はるやこし としやゆきけん こつごもり
寛文2年(1662) 19歳
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芭蕉を追いかけてみようと思います。
日本最高の詩人で最大の功績は言語遊戯にすぎなかった俳諧を、
人生を表現する芸術性の高い詩に昇華させた点にあるという。
もっとも早い芭蕉の句とされる年内立春を詠んだもの。
大晦日の前日は小晦日(こつごもり)だそうだ。
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「芭蕉句集&句碑」
柿本人麻呂 [上代]
鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ
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万葉集でも触れたが、辞世として再度。
島根県江津市のページは写真が多く分かりやすい。
壺齋散人氏の解説を読み、柿本人麻呂の人物にこれほど多様な解釈があるのかと驚く。
斎藤茂吉の下級官僚説、高官だが刑死した梅原猛説。伊藤博の持統天皇を追っての殉死説があるという。
分からないまま味わうものなのでしょう。
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万葉の歌碑めぐり 島根県江津市
ー壺齋散人の万葉集評釈ー
p21
登楼 <杜甫> [漢詩]
花は高楼に近くして客心(かくしん)を傷(いた)ましむ
万方(ばんぽう)多難 此(ここ)に登臨(とうりん)す
錦江の春色 天地に来り
玉塁(ぎょくるい)の浮雲(ふうん) 古今(ここん)に変ず
北極の朝廷 終(つい)に改めず
西山(せいざん)の寇盗(こうとう) 相侵(あいおか)すこと莫(な)かれ
憐れむべし 後主も還(また)廟に祠らる
日暮(じつぼ)聊(いささ)か為す 梁甫吟
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長安を異民族に奪われ、杜甫は成都に逃れる。長安が奪還されたと聞き、愛国心に奮い立つ。
蜀の劉禅が諸葛亮孔明を得たことで廟に祀られているが、現在の代宗は暗愚であり自分も孔明のごとく国難を救う者たらんと欲しているという。
左大臣氏の解説に感激する。
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漢詩の朗読 左大臣光永
266 千鳥鳴いて 柿本人麻呂 [万葉集]
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ
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万葉集を代表する名歌だという。
近江大津宮が壬申の乱で滅亡した後、柿本人麻呂が訪れたという。
琵琶湖の水辺は、海のような波もなく、川のような流れでもない、静かなリズムの湖面で、夕日を背に千鳥が鳴いている。
彼らは都があった時と同じように存在しているが、都はもはやない。
人麻呂の往事を偲ぶ歌だった。
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万葉集の日記
石川五右衛門 [戦国]
石川や 浜の真砂は つくるとも 世に盗人の 種は尽くまじ
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貿易商・ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンの『日本王国記』や山科言経の日記に記され実在とのことでした。
城山三郎『黄金の日日』では堺の今井宗久の下で働いていたので、堺衆を狙うことはなかった。大河ドラマでは教会に侵入して貴重品を盗もうとする。
珍しい物が多いでしょうから五右衛門も実際に実行したのやもしれません。
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石川五右衛門の辞世 明石 白(歴史ライター)
p241
晩桃 <劉長卿> [漢詩]
四月深き澗底、桃花方(まさに)然(もえ)んと欲す。
寧(いづくんぞ)知らん地勢の下、遂に春風をして偏ならしむるを。
此意頗(すこぶる)惜しむに堪えたり、言ふこと無くして誰が為にか伝へん。
過時君未だ賞せず、空しく媚ぶ幽林の前。
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遅咲きの桃、谷底であり言葉を持たぬ花ゆえ、その姿を人に伝えるすべがない。
だから誰も愛でない。自分で誇るしかないのだ、と自分と重ねる。
権力者に逆らい左遷や投獄にもあったという。
見事ですね。季節、花、地の条件など例えて詩を作る力は尊敬です。
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趣味の漢詩と日本文学
265 狭野の渡りの雨 長意吉麻呂 [万葉集]
苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに 家もあらなくに
駒とめて 袖打ち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ
(『新古今集』671 藤原定家)
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雨宿りする家がない、という意から最近では家という建造物ではなく、
家庭、この場合は妻と遠く離れていることの実感を表しているという。
定家が本歌取りし、「佐野のわたり」を使うが、雨を雪にしている。
上代は素朴に事実と感情の流れを書くが、中世で技巧が発展するようだ。
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大和の国のこころ、万葉のこころ
駒とめて 袖打ち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ
(『新古今集』671 藤原定家)
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雨宿りする家がない、という意から最近では家という建造物ではなく、
家庭、この場合は妻と遠く離れていることの実感を表しているという。
定家が本歌取りし、「佐野のわたり」を使うが、雨を雪にしている。
上代は素朴に事実と感情の流れを書くが、中世で技巧が発展するようだ。
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大和の国のこころ、万葉のこころ
春日局 [江戸]
西に入る 月をいざなひ 法をえて けふぞ火宅を のがれけるかな
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「西」が西方浄土、「法」が仏法、「火宅」が煩悩が渦巻く家 だという。
『辞世百人一首』芹生公男氏の解説の熱量が素晴らしい。
福は4歳で磔の父を目にし力こそ正義だと学んだ。
家光は浪費を好み財政の窮乏を招き48で死ぬが、老臣井伊直孝が、
「長生きしていたら、天下は大乱に及んだだろう」と胸をなでおろしたという。
そんな家光を勝たせるために、福は手段を選ばなかったという。
それが、辞世に使った「火宅」だった。
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春日局 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media
p86
岳陽の晩景 <張均> [漢詩]
晩景 寒鴉 集ひ,
秋風 旅雁 歸る。
水光 日を浮かべて出で,
霞彩 江に映えて飛ぶ。
洲は白くして 蘆花は吐き,
園は紅にして 柿葉 稀なり。
長沙は 卑溼の地,
九月 未だ衣を成さず。
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父が宰相だった唐の張均が、安史の乱で降伏し仕えることになったという。玄宗皇帝の娘婿の兄だったので、蜀に逃れていた玄宗は来てくれるものと思っていたのでショックを受ける。唐軍の奪回で降ったが、弟他殺されることになったが、助命嘆願で命は助かったという。(wiki先生を含む)
流刑の地長沙に流される途中で詠ったようだ。
カラスや雁は帰っていくが、弟が殺され自分は流されていき冬の支度もできていないという悲哀を残した。
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詩詞世界 碇豊長の詩詞
264 宇治川の網代木 柿本人麻呂 [万葉集]
もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の ゆくへ知らずも
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「もののふ」といえば武士を連想しますが、朝廷に仕える文武百官の意だそうだ。
数が多い意の「八十」の枕詞だという。
近江大津宮が壬申の乱で廃都となるが、見てきたばかりで、
滅び去った無常の響きを読み取ることができるようだ。深い歌でした。
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万葉集のかたわらにキーボード