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年暮れぬ 笠きて草鞋 はきながら [芭蕉]



 としくれぬ かさきてわらぢ はきながら


貞亨元年(1684) 41歳

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 旅の途中に郷里に寄り年末年始を過ごしたようだ。
12月25日に詠む。芭蕉にとっては郷里も旅先だそうだ。

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山梨県立大学 芭蕉DB


秋庭道博”10000篇のコラム”







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水野十郎左衛門 [江戸]

 
気のつまる 娑婆にながなが 居たくない 地獄の底へと ところがへせん

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平和な時代になると戦後でもカミナリ族、愚連隊などが出現したように
江戸初期に町奴、旗本奴がかぶいていたという。
『辞世百人一首』では、長兵衛の罵倒に水野が武士に対して失礼だとして斬ったという。寛文4年に幕府が旗本奴の大がかりな取り締まりをしたそうだ。
評定所に月代も剃らず派手な服装で行って切腹させられたようだ。
が、それは承知で、死に花を見せたのでしょう。

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江戸中の話題となった旗本奴vs町奴の“喧嘩騒動”「幡随院長兵衛と水野十郎左衛門」【大江戸かわら版】




p90






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改訂完成稿詩 [西郷漢詩]



肥水豊山路已窮
墓田帰去覇図空
半生功罪両般跡
地底何顔対照公


肥水豊山 路已に窮れり、
墓田に帰り去かん 覇図も空し
半生の功罪は 両般の跡
地底にて 何の顔ありてか照公に対せん。


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「覇図も空し」を明治再維新の覇図とする。それが西郷の公式見解なのでしょう。
多くの死人を出した以上、それを貫くべきなのでしょうが、
そもそもはじめから起こす気はなかったし、始まってからは西郷は桐野に任せ政府軍に勝つつもりだったのかも疑問です。多くの不平士族らと死んであげたのかなと思います。
本音は、「覇図はそもそも空し」なのやもしれません。

斉彬を照師から照公にする。より尊敬と恩愛が込められているようだ。

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藤原季縄 [中古]


 
 くやしくぞ 後にあはんと 契りける けふをかぎりと いはまし物を


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『宇治拾遺物語』『大和物語』に記されているという。
人と会う約束をしていて、病で行けず、もはや死を受け入れなければならない悔しさなのでしょう。
久々に会うはずだった友人なのやもしれません。

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巻十二 (146)季直少将、歌の事 宇治拾遺物語





p235
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603 千たびぞ 笠郎女 [万葉集]



 思ひにし 死にするものに あらませば 千たびぞ我れは 死にかへらまし (603)

 相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後方に 額つくごとし (608)

 心ゆも 我は思はずき またさらに 我が故郷に 帰り来むとは (609)



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 何かボタン1つの掛け違いで、2人の思いが違ってしまったのでしょう。
と思いたいが、家持の人格がそもそも問題だったのやもしれません。


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大洋ボート


讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ





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安原貞室 [江戸]



 今までは 目見(まみ)えせねども 主人公 八八といひし 年もあきけり


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 松永貞徳の寵愛を受けたが先輩に嫌われる。
貞徳の死後に『貞徳終焉記』を書き「貞」を頂き貞室と号を改め先輩を出し抜いたという。
秀吉が信長の法要を行った時のような気質だったのでしょう。
実力もあり、それでいて辞世に64だったので「はっぱ」を使うという茶目っ気もあったようだ。

芭蕉の師が貞室門弟から学んだようだ。

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山梨県立大学 芭蕉DB



p92
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海暮れて 鴨の声 ほのかに白し [芭蕉]



うみくれて かものこえ ほのかにしろし


貞亨元年(1684) 41歳


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黄色い声という色がついた声があるが、鴨の声に芭蕉は色をつけた。
youtubeで聞いてみたが、それを芭蕉は白にする。
「海暮れて」視界が黒くなっていき、白い声が聞こえてきた。
これは見事でしょう。

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山梨県立大学 芭蕉DB
















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戦没学生の手記から 三 [昭和]



 遥々と 浪路おし分け 征く船の 跡しらじらと 白浪みだる
                           宇田川達

 
 およばずを 知りつつ汽車に 手をふりて 走る従妹に 顔をそむけぬ
                           鈴木保次
 


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 二度と会うことは無いやもしれない、残る者たちも苦労するだろう。
涙を禁じ得なかったのでしょう。

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きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫 青 157-1)




p267
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絶筆習作稿詩 [西郷漢詩]

肥水豊山計百非
墓田帰去断塵覊
半生功罪両般事
地底何顔対照師


肥水豊山 計りごと百も非なり
墓田に帰り去き 塵覊を断たん
半生の功罪は 両般の事、
地底にて 何の顔ありてか照師に対せん。


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解説が充実し感激する。
肥後の水と豊後の山々、・・・ 失敗に終わり、
他の戦地もあるが、詩的には「肥水豊山」がいい。
「墓田」が郷里の墓なので、薩摩に戻って死のうと思う、となる。
功罪あった人生、「照師」が斉彬で、どういう顔をしてお会いしたらいいだろうかと書く。
「地底」の語を選んだのは、斉彬様とお会いするのに地獄とは書けない。

西郷は本心では、罪はあるが改宗し天の末席には入れてもらえるだろう。
斉彬様とは地底で少しばかり再会できるやもしれないが、どういう顔をすればいいのだろうか。
...やもしれません。

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p7




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平時子 [中古]



 今ぞいる 御裳濯河(みもすそがは)の ながれには

                浪の下にも 都ありとは


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只今、確認いたしましたところ、
『草燃える』では、「海の底に極楽浄土の都がございます。尼前といっしょに参りましょう」
『鎌倉殿の13人』では無言でございました。

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草燃える 総集編 第2回 平家滅亡

鎌倉殿の13人 (18)「壇ノ浦で舞った男」




p39
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