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松門三秀 [幕末]



  結べども 又結べども 黒髪の

    乱れそめにし 世をいかにせん
                     吉田稔麿


  ほととぎす 血になくこゑは あり明の
 
    月より外に きく人ぞなき
                     久坂玄瑞


  おもしろき こともなき 世をおもしろく

    すみなすものは 心なりけり
                     高杉晋作

  

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 山縣有朋が吉田稔麿にかなりの格下扱いされたようだ。
後、伊藤博文は稔麿を総理になっていたと言うが、現実の展開は山縣だった。
文武に秀でた者たちだが、大政奉還を知らずに他界する。


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<参考>


吉田稔麿の生涯と壮絶な最期!辞世の句の意味と真偽を考察してみた 歴史専門サイト「レキシル」


久坂玄瑞が辞世の句に込めた思い - ひすとりびあ


高杉晋作の詠んだ名言




p132







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12. 僧正遍昭 [百人一首]



   天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ

     をとめの姿 しばしとどめむ



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「君の瞳は10000ボルト」だの、「あなたは稲妻のように私の心を引き裂いた」だの、
女性を何かに譬えるのは、私には似合わないので口にしないでしょう。


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山田浅右衛門 [江戸]

  一振りの 枕刀や 時鳥

           山田浅右衛門吉嗣

  
  蟋蟀や 地獄を巡る 油皿

           山田浅右衛門吉寛


  蓮の露 集まれば影 宿るべし

           山田浅右衛門吉睦

 
  怠らぬ 日頃見えけり 大矢数

           山田浅右衛門吉昌



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 罪人での試し切りとはいえ良心もあるでしょうから、供養は惜しまなかったようです。
死刑囚の辞世を理解するため3代目吉嗣から学び始めたそうだ。
自分たちは短くてよいということなのでしょう。


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<参考>


祥雲寺 (山田浅右衛門の寺 ②)



p114







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11. 参議篁 [百人一首]


   わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

     人には告げよ 海人の釣り舟




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 遣唐使に行く舟を藤原常嗣に取られてしまい、喧嘩となり嵯峨天皇に流罪にされたという。出雲の千酌駅で発つ際に詠まれたという。漁師の舟に呼びかけた。
その歌を京の知人に送ったという。2年間と決まった流罪だったのか、この歌を受け取った人々の運動で2年で帰ることができたのか、後者なのやもしれません。


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大石良雄 [江戸]


   

  あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 

     浮世の月に かかる雲なし



  極楽の 道はひとすぢ 君ともに 

     阿弥陀をそへて 四十八人




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 三男の大三郎が浅野本家に1500石で迎えられる。妻の理玖と次女るりも広島で暮らしたようだ。本家の威信にかけて厚遇すべきであり、よかったことです。

 
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<参考>


大石内蔵助 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media


レファレンス協同データベース




p112







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10. 蝉丸 [百人一首]


  これやこの 行くも帰るも 別れては

   知るも知らぬも 逢坂の関



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 谷知子氏の解説では渋谷駅の雑踏を上から見下ろしたような歌だと譬えられ、
渋谷を歩いたことはないが、様々な人が行き交い、人生の縮図のようだとされた。
百人一首では自然や恋ではない珍しい歌だという。
「行く」「帰る」「知る」「知らぬ」「別れ」「逢」と3組の対立語を入れる技巧だった。
私は「帰る」と「蛙」が掛詞と疑い少し考えた。いとおかしことなのだろうか。


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今川氏真 [江戸]


  なかなかに 世にも人をも 恨むまじ

    時にあはぬを 身の咎にして



  悔しとも うら山し共 思はねど

    我世にかはる 世の姿かな




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 『信長の野望』では悲惨な扱いだったが、実は、剣や蹴鞠、和歌にも長けていた。
信長の前で蹴鞠を披露するが、平静を崩さず見事披露したのでしょう。

子孫が高家となっている。まさに「時にあはぬ」だったのでしょう。

 
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<参考>


無能とは言わせない!戦国時代の残念な武将・今川氏真は文化人としてなら有能だった


今川氏真の辞世 戦国百人一首37 




p98







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9. 小野小町 [百人一首]



  花の色は 移りにけりな

   いたづらに わが身世にふる ながめせしまに



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 「ふる」が、「降る」「経る」で、「ながめ」が「長雨」「眺め」で、
表の文脈が自然で、もう一つの文脈が人間の後悔だった。
最も有名な歌のようだ。これは数年程度の学びでは無理なレベチなのでしょう。


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本多忠勝 [江戸]


  死にともな 嗚呼死にともな 死にともな

   深きご恩の 君を思えば



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  ストレートな思いが伝わってくる辞世でした。
 家康もさぞ嬉しかったことでしょう。

 
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<参考>


戦国ガイド




p94







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8. 喜撰法師 [百人一首]


わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む

   世をうぢ山と 人はいふなり


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 自分の家が山奥にあり、「しか」が「心静かに」で、「宇治」は「憂し」と掛けているいう。

 住む家屋なりで一方的に下に見る視線を感じているが、
六歌仙ともなれば、「人はいふなり」と別の位置から笑っているのやもしれません。



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