100. 順徳院 [百人一首]
百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
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『小倉百人一首』では天智天皇・持統天皇親子に始まり、後鳥羽院・順徳院親子で終わる。
定家は後鳥羽院の逆鱗に触れ出禁となるが、承久の乱後に義弟の引き立てで復活。
後堀河院に命じられた『新勅撰和歌集』での単独選集だったが、院の崩御の後に九条道家に後鳥羽・順徳両院の削除を命じられたという。
宇都宮頼綱の依頼で『百人秀歌』をまとめたのがベースだが、そこでも両院は外される。
しかし、『百人一首』に加える。ここに定家の強い意思があったようだ。
選んだ歌人と和歌は、不遇だった頼綱の心情も考え定家がまとめたという。
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なほあまりある 昔なりけり
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『小倉百人一首』では天智天皇・持統天皇親子に始まり、後鳥羽院・順徳院親子で終わる。
定家は後鳥羽院の逆鱗に触れ出禁となるが、承久の乱後に義弟の引き立てで復活。
後堀河院に命じられた『新勅撰和歌集』での単独選集だったが、院の崩御の後に九条道家に後鳥羽・順徳両院の削除を命じられたという。
宇都宮頼綱の依頼で『百人秀歌』をまとめたのがベースだが、そこでも両院は外される。
しかし、『百人一首』に加える。ここに定家の強い意思があったようだ。
選んだ歌人と和歌は、不遇だった頼綱の心情も考え定家がまとめたという。
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99. 後鳥羽院 [百人一首]
人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふ故に もの思ふ身は
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後鳥羽院33、建暦二年(1212)の歌だそうだ。憂鬱と苦悩が伝わってくる。
定家を重用したが衝突し関係が破綻したという。
定家も院に愛憎があったのでしょうが、苦笑しながら懐かしんだのやもしれません。
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世を思ふ故に もの思ふ身は
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後鳥羽院33、建暦二年(1212)の歌だそうだ。憂鬱と苦悩が伝わってくる。
定家を重用したが衝突し関係が破綻したという。
定家も院に愛憎があったのでしょうが、苦笑しながら懐かしんだのやもしれません。
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98. 従二位家隆 [百人一首]
風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける
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「楢」は奈良でなく京都の御手洗川のことだそうだ。
旧暦は7月1日から秋で、夏である6月30日に川での禊で
上半期の穢れを全て祓おうとの意だった。
「六月祓(みなづきばらえ)」というようだ。
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みそぎぞ夏の しるしなりける
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「楢」は奈良でなく京都の御手洗川のことだそうだ。
旧暦は7月1日から秋で、夏である6月30日に川での禊で
上半期の穢れを全て祓おうとの意だった。
「六月祓(みなづきばらえ)」というようだ。
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97. 権中納言定家 [百人一首]
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや 藻塩の 身もこがれつつ
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定家が万葉集から本歌取りして少女となって歌う。
「藻塩」と「こがれ」が縁語でセットだそうだ。
「焦がれ」が焼いた海藻と少女の待ちこがれる姿を重ねているという。
技巧と心象、風景を見事に表現したのでしょう。
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焼くや 藻塩の 身もこがれつつ
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定家が万葉集から本歌取りして少女となって歌う。
「藻塩」と「こがれ」が縁語でセットだそうだ。
「焦がれ」が焼いた海藻と少女の待ちこがれる姿を重ねているという。
技巧と心象、風景を見事に表現したのでしょう。
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96. 入道前太政大臣 [百人一首]
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは 我が身なりけり
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花と言えば桜で、嵐で雪のように降るが、我が身のことだなぁと歌う。
「ふり」が「降り」「古り」の掛詞となっており、桜の花びらを雪と見立てる。
定家の義弟で頼朝の姪を妻とし、後鳥羽院の計画を漏らし出世したという。
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ふりゆくものは 我が身なりけり
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花と言えば桜で、嵐で雪のように降るが、我が身のことだなぁと歌う。
「ふり」が「降り」「古り」の掛詞となっており、桜の花びらを雪と見立てる。
定家の義弟で頼朝の姪を妻とし、後鳥羽院の計画を漏らし出世したという。
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95. 前大僧正慈円 [百人一首]
おほけなく うき世の 民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染の袖
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慈円が関白忠通の子で11で比叡山へ入り37で天台座主になったそうだ。
その過程で、憂き世にわが法衣で覆ってやろうという歌を詠んだ。
善導していこうという純粋な精神だったのでしょう。
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わがたつ杣に 墨染の袖
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慈円が関白忠通の子で11で比叡山へ入り37で天台座主になったそうだ。
その過程で、憂き世にわが法衣で覆ってやろうという歌を詠んだ。
善導していこうという純粋な精神だったのでしょう。
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94. 参議雅経 [百人一首]
み吉野の 山の秋風 小夜ふけて
ふるさと寒く 衣打つなり
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大江広元の娘婿で京都と鎌倉の仲介役だったそうだ。
蹴鞠も上手かったことで自邸が後にサッカー選手の信仰を集める白峰神宮になったという。
寂しくなった寒い古都で砧の音が聞こえてくるという。
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ふるさと寒く 衣打つなり
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大江広元の娘婿で京都と鎌倉の仲介役だったそうだ。
蹴鞠も上手かったことで自邸が後にサッカー選手の信仰を集める白峰神宮になったという。
寂しくなった寒い古都で砧の音が聞こえてくるという。
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93. 鎌倉右大臣 [百人一首]
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ
海人の小舟の 綱手かなしも
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実朝の歌。世の中がいつまでもそのままであってほしいという願望には、
自分の生の願望も含まれているそうだ。漁師が小舟を綱で引く日常の光景を歌う。
しかし、実朝は殺害されることで、定家はこの歌を選ぶことにする。
昨年の大河のように優しい人柄だったのでしょう。
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海人の小舟の 綱手かなしも
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実朝の歌。世の中がいつまでもそのままであってほしいという願望には、
自分の生の願望も含まれているそうだ。漁師が小舟を綱で引く日常の光景を歌う。
しかし、実朝は殺害されることで、定家はこの歌を選ぶことにする。
昨年の大河のように優しい人柄だったのでしょう。
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92. 二条院讃岐 [百人一首]
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし
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人に言えない恋で袖が濡れた状態というのは分かったが、
潮干や石の意味が不明だった。
「水の下の石」の本歌取りで、頼政の娘讃岐は沖の石とし、
秘密の恋の象徴にしたという。見事でした。
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人こそ知らね かわく間もなし
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人に言えない恋で袖が濡れた状態というのは分かったが、
潮干や石の意味が不明だった。
「水の下の石」の本歌取りで、頼政の娘讃岐は沖の石とし、
秘密の恋の象徴にしたという。見事でした。
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91. 後京極摂政前太政大臣 [百人一首]
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
衣かたしき ひとりかも寝む
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キリギリスはコオロギだった。「さむしろ」が「寒い」と「むしろ」で、
「狭いむしろ」との解釈もあるようだ。
妻を亡くした寂しさという個人的体験を普遍的な悲しみに昇華させたという。
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衣かたしき ひとりかも寝む
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キリギリスはコオロギだった。「さむしろ」が「寒い」と「むしろ」で、
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妻を亡くした寂しさという個人的体験を普遍的な悲しみに昇華させたという。
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