山城屋和助 [明治・大正]
ほまれある 越路の雪と 消ゆる身を ながらへてこそ 恥しきかな
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単に巨悪と決めつけるのは見誤るようだ。
奇兵隊での戦闘参加数82と随一で山縣有朋の信頼を得たという。
維新後に生糸貿易商となり衣服や軍需物資を陸軍に納める。
軍に備蓄している外貨を寝かせておくと相場の変動で目減りするから、
運用して儲ければいいという考えがあったようだ。
他藩他人からすれば、けしからん話ではあるが、彼と飲食を共にした者にとっては、
頼もしい男だったのでしょう。
綺麗な辞世を遺し陸軍省の一室での死は、奇兵隊時代から命がけで生きてきた「誉れ」
を飾るに相応しい死に場所としたのやもしれません。
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1872年に日本人がパリを豪遊した 「山城屋和助事件」を知らないとヤバイ! DIAMOND online
【連載】第4回 立身出世は正義か悪か――山城屋和助『萩の露山城日記』 | ゆらめく勧善懲悪 2代目松林伯円の講談世界(目時美穂)
p181