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大村益次郎 [明治・大正]

 
 君のため 捨つる命は 惜しからで ただ思はるる 国の行末

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 明治2年に刺されて2か月後に大阪で亡くなる。
枕元の手帳の末尾に書かれていたという。
大村は和歌を詠まないので、長井雅樂の辞世を頂く。

長井は久坂や前原に暗殺されそうになり、後に「ぬれ衣」で切腹となる。
大村は木戸から100石で引き抜かれたが米25俵と反故にされたようだ。
そして刺してきたのが長州を含む攘夷過激派であり、
死に際になりほとほと長州が嫌になり長井に同情、彼の無念も知れるよう歌を頂戴したのでしょう。

第二の尊氏が西から攻撃してくると大坂鎮台を設置し備えさせたようだ。
「国の行末」は徴兵制に反対する薩摩兵と西郷をも想定しているのでしょう。

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神代直人の捕縛 -大村益次郎襲撃事件顛末-


花神 総集編 第4回 徳川を討て





p177
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前原一誠 [明治・大正]

 もろともに 峯の嵐の はげしくて 木の葉とともに 散る我身かな


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 前原一誠を中心に幕末維新をJBpressで学ぶ。木戸との幕末での溝が明治で亀裂する。
その切欠となったのが長州藩の常備軍編成に対する不満からの反乱で、
木戸が武力鎮圧したことだったという。確か、ここは酷いやり方だった。
萩の乱後の前原の弁明の機会を騙してまで奪ったのも、その辺りやもしれません。

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前原一誠と萩の乱① JBpress

前原一誠と萩の乱② JBpress

前原一誠と萩の乱③ JBpress

前原一誠と萩の乱④ JBpress




p263
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河上彦斎 [明治・大正]


 かねてより なき身と思へど 大王に つくす心は 世にのこれかし

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 教養はあったというが、斬りまくったようだ。
佐久間象山を殺めたが悔い、以後止めたという。
明治4年の二卿事件に関わったとのことで斬首という説明もあるが、
詳細は、大楽源太郎の誘いを断ったが匿ったことで投獄となるが、
処分しておいてくれとの木戸孝允の言を無視して政府への協力を求めた裁判官玉乃世履の好意を断ったことでの斬首だという。

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河上彦斎 ~幕末の兵学者・佐久間象山を暗殺した男~ 長谷川ヨシテル



p261
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山城屋和助 [明治・大正]


 ほまれある 越路の雪と 消ゆる身を ながらへてこそ 恥しきかな


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 単に巨悪と決めつけるのは見誤るようだ。
奇兵隊での戦闘参加数82と随一で山縣有朋の信頼を得たという。
維新後に生糸貿易商となり衣服や軍需物資を陸軍に納める。
軍に備蓄している外貨を寝かせておくと相場の変動で目減りするから、
運用して儲ければいいという考えがあったようだ。
他藩他人からすれば、けしからん話ではあるが、彼と飲食を共にした者にとっては、
頼もしい男だったのでしょう。
綺麗な辞世を遺し陸軍省の一室での死は、奇兵隊時代から命がけで生きてきた「誉れ」
を飾るに相応しい死に場所としたのやもしれません。

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1872年に日本人がパリを豪遊した 「山城屋和助事件」を知らないとヤバイ! DIAMOND online


【連載】第4回 立身出世は正義か悪か――山城屋和助『萩の露山城日記』 | ゆらめく勧善懲悪 2代目松林伯円の講談世界(目時美穂)



p181
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西郷隆盛 [明治・大正]

 ふたつなき 道にこの身を 捨小船

  波たたばとて 風吹かばとて


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 1858年、安政の大獄が始まり、月照と入水する前に書かれたのが辞世として残っているという。明治10年西南戦争の19年前のことだった。

私なりの西郷理解はありますが、あまりに規格外のことであり語るに難しいですね。
下の3冊は、表のドラマや歴史解説で語られる通常の枠を超えて思考を拡げてくれました。

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西郷隆盛と聖書 「敬天愛人」の真実 (いのちのことば社) (聖書を読んだサムライたち)

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南海物語 西郷家の愛と哀しみの系譜

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  • 作者: 加藤 和子
  • 出版社/メーカー: 郁朋社
  • 発売日: 2007/08/23
  • メディア: 単行本






p154

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木戸孝允 [明治・大正]

 さつきやみ あやめわかたぬ 浮世の中に

  なくは私しと ほととぎす


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 1日で9本も抜歯する。虫歯による痛みは無くなったが、
これが胃腸障害、不眠症、神経衰弱を起こしたという。晩年は大腸ガンだっという。
その慢性的なイライラで、明治10年西南戦争の最晩年に、
5歳上の西郷への偉そうな姿勢や辞世の自分とホトトギスだけというように、増上慢に陥ったのやもしれません。

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木戸孝允の辞世の句や最後の言葉・名言の意味は?逸話やエピソードについても 足長パパのブログ




p156
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乃木希典、静子 [明治・大正]


  神あかり あかりましぬる 大君の
    みあとはるかに をろみかまつる

  うつし世を 神さりましし 大君の
    御あと慕ひて 我はゆくなり
                     乃木希典

  出でまして かへります日の なしときく
    けふの御幸に 逢ふぞかなしき
                     乃木静子
 
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 悲しいですね。明治大正の頃は静子さんが多かった。
広田弘毅の妻静子も自決。私の祖母は自決ではないが母を生んで若くして死亡。
名は身体や運気に影響を与えるのかと考えてしまいますね。

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<参考>

  この写真の撮影日に夫婦共に自刃。明治天皇に殉死した乃木希典が神として崇められるまで

  伏見・桃山 乃木神社




p160






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山岡鉄舟 [明治・大正]

  腹痛や 苦しきなかに 明けがらす


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 最期、風呂に入り死装束で皇居に向かって結跏趺坐で他界。51で胃癌だそうだ。
悔いなく生きたのでしょう。「笑ってくれや」と言わんばかりの飾らない辞世でした。

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<参考>


山岡鉄舟 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media


山岡鉄舟の名言




p158







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徳川慶喜 [明治・大正]

  
    この世をば しばしの夢と 聞きたれど

      おもへば長き 月日なりけり
  

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 慶喜は多趣味で、写真や油絵、乗馬、弓、狩猟、能楽など嗜んだという。
和歌も習ったようだ。

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<参考>


足長パパのブログ



p162







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江藤新平 [明治・大正]


  ますらおの 涙を袖に しぼりつつ

   迷う心は ただ君がため



  唯皇天后土のわが心知るあるのみ
 


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鍋島藩では禄高が勉強の成績で増減したそうです。
私なぞ除名され野垂れ死にしたのやもしれません。


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<参考>


辞世の句最期のことばデーター倉庫


裁判長、私は


翔ぶが如く (2ー13) 佐賀の乱





p152







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