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田中河内介 [幕末]

 
  ながらへて かわらぬ月を 見るよりも
   
   死してはらわん 世々のうき雲


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 寺田屋事件で帰藩先の無い河内介は「薩摩藩預り」となるが、船中で殺害されたという。
後に明治天皇が河内介のことを聞いた際に、大久保利通の名がでたという。

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<参考>


明治天皇に最も慕われた男



p124






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72. 祐子内親王家紀伊 [百人一首]


 音に聞く 高師の浜の あだ波は

  かけじや袖の ぬれもこそすれ


祐子内親王


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 歌合せで疑似恋愛のゲームを楽しんだという。老女となっていた紀伊の返歌だった。
「音」が噂で、高師が現在の高石市で、評判が「高い」とも掛けられていた。
「あだ波」をかけるつもりはない、袖が濡れるといけませんからと、断る。
見事でした。

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吉田松陰 [幕末]

 
  身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも

   留め置かまし 大和魂


  親思ふ 心にまさる 親心

   けふのおとづれ 何と聞くらん

   
  此程に 思定めし 井出ハ

   けふきく古曽 嬉しかりける

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 井伊館長が真摯に扱われていました。
井伊直弼を殺害した有村次左衛門にしろ、幕末頃までがギリギリ昔のこととして、
親類筋にあたる現代人が公の場で語れるのやもしれません。

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<参考>

吉田松陰 もうひとつ存在した 辞世の書  井伊美術館

吉田松陰の名言!辞世の句や彼が残した言葉とは?



p118






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71. 大納言経信 [百人一首]

  夕されば 門田の稲葉 おとづれて

   蘆のまろやに 秋風ぞ吹く


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 別荘に招いた際の歌会でテーマが「田家ノ秋風」だったそうだ。
時折遊びに行く田舎の景色は素晴らしいものなのでしょう。
定住する名家の息子にとっては鬱屈した生活となり猟銃で大変なことを
しでかしてしまうのやもしれません。

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真田信之 [江戸]

 
  何事も 移ればかわる 世の中を

   夢なりけりと 思いざりけり

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 父と弟が西軍についたが、信之は家康につく。正室が本多忠勝の娘で家康の養女として迎えていた。関ケ原の戦功と引き換えに父と弟の命を得、家綱まで仕え93まで生きる。
家族を騙しても守り抜いた秘密が明治になり明らかとされたのが三成からの文だったという。
危険文書を秘匿して臣従を続ける神経は晩年でも研ぎ澄まされていたのでしょう。

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<参考>


真田信之の辞世 明石 白(歴史ライター)



p108






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70. 良暹法師 [百人一首]

 寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば

  いづこも同じ 秋の夕暮れ


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 「秋の夕暮れ」は新古今集の時代に流行した結句だという。
技巧を凝らしている訳ではないが、染み入ってくる名歌なのでしょう。
定家も、恋の歌ばかり選んでいると世間体もあるので、バランスも考えたのでしょう。

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慶安の変 [江戸]

 
  秋はただ 慣れし世にさへ もの憂きに

   いづこ泊りの 門出なるらむ
                  由井正雪


  雲水の 行くへも西の 空なれや

   願ふ甲斐ある 道しるべせよ
                  丸橋忠弥


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 幕府を転覆できると本気で信じていないものの、できる限りの準備はして、
派手にやって、失敗したら一緒に死のう、という暗黙の了解があったのやもしれません。
それで幕府の政治が改善されるのであれば、喜んで死のうというつもりだったのなら、
成功と言えるのでしょう。

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<参考>

由井正雪 最後の言葉~辞世の句

丸橋忠弥 最後の言葉~辞世の句



p106






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69. 能因法師 [百人一首]

  嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は

   竜田の川の 錦なりけり


能因法師

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山から川へ、嵐で、もみぢ葉が錦となる。動から静となる。
「三室の山の」「竜田の川の」と「の」もリズムを揃えていた。
歌合せの題が「紅葉」で1月ほどの猶予があったという。
能因法師は自宅にいたのに白河の関へ行ったかの嘘の歌も歌っていたが、
政治家とは違い大学で詩歌を学んだようなので、代作ではなく自分の作品なのでしょう。

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大谷吉継 [戦国]

 

 契りあれば 六つの巷に 待てしばし

   遅れ先だつ ことはありとも


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 家康と懇意にしていたが旧知の三成に負けを承知で付き合ったそうだ。
歌は平塚為広への返歌だという。
戦国にもこういう人がいたというのも面白いところです。

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<参考>

大谷吉継 歴史のトリビア ひすとりびあ



p89






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68. 三条院 [百人一首]

  心にも あらで憂き世に 長らへば

   恋しかるべき 夜半の月かな 


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上の句の意味は分かったが、下の句との繋がりが分からなかった。
無理はなく三条院が緑内障で視力が低下し、道長に譲位を迫られ決めた頃の歌だった。
三条院は皇太子に敦明親王するとの条件で後一条天皇に譲位されるが、かなわなかった。定家は三条院と後鳥羽上皇が重なり、この歌を選んだのやもしれないとのことだった。

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