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除夜 [西郷漢詩]



白髪衰顔非所意
壮心横剣愧無勲
百千窮鬼吾何畏
脱出人間虎豹群


白髪衰顔は意とするところに非ざるも
壮心あり剣を横たへ勲無きを愧づ
百千の窮鬼を吾何ぞ畏れんや
脱出せん、人間虎豹の群



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明治10年2月の私学校生暴発後鹿児島へ向かう途中で書かれたという。
2009年4月に絶筆漢詩が見つかるまで、この作品が絶筆とされ、
勝海舟は、この作品を拝借して書き変えたという。
3.4句がさすが西郷なのでしょう。
多くの戦死者が出ることは畏れるものではなく、
この虎や豹のような連中からサヨナラしたいということなのでしょう。

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【模写】喜聞◆『西郷隆盛(西郷南洲) 除夜漢詩文三行書』 yahooオークション




p29





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辞闕 [西郷漢詩]

独不適時情 独り時情に適せず
豈聴歓笑声 豈歓笑の声を聴かむや
雲羞論戦略 羞を雪がむとして戦略を論ずれば
忘義唱和平 義を忘れて和平を唱ふ
秦桧多遺類 秦桧遺類多く
武公難再生 武公再生し難し
正邪今那定 正邪今那ぞ定めむ(定まらむ)
後世必知清 後世必ず清を知らむ


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 明治6年11月、下野後の心境を五言律詩にする。
南宋の宰相秦檜が抗金派を弾圧したことを重ねる。

どうも先日の「朝鮮国之命」と合わせて西郷の真意がどこにあったか疑問を抱く。
七言律詩を6字づつ緊張気味の字で書いていること、下野直後の字がのびのびしている。
西郷は不平士族の暴発を抑えるために彼らのエネルギーを代弁する立場に徹していたが、実は真意の通りだったのではないか、その場合は桐野や別府ら誰にも言わず、明かすとすれば従道だけなのやもしれません。現段階では、妄想を巡らしておくとします。

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西郷隆盛と新収蔵品展


西郷南洲 「朝鮮国之命」書巻物




p25





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蒙使於朝鮮国之命 [西郷漢詩]

酷吏去来秋気清
鶏林城畔逐涼行
須比蘇武歳寒操
応擬真卿身後名
欲告不言遺子訓
雖離難忘旧朋盟
胡天紅葉凋零日
遥拝雲房霜剣横


酷吏去来して秋気清く
鶏林城畔を涼を逐って行かん
須らく比すべし蘇武歳寒の操
応に擬すべし真卿身後の名
告げんと欲して言わず遺子への訓
離ると雖も忘れ難し旧朋との盟
胡天の紅葉凋零の日
遥かに雲房を拝して霜剣を横たえん


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明治6年8月では遣韓大使の命がでて、出発するつもりで書いている。
渡韓の覚悟を蘇武(拘留)、顔真卿(縊殺)で示す。

西郷の巻物が80万円から出品される。七言律詩を6字づつ書いている。
語釈も書かれているが、8句をどう解釈するかなのでしょう。

交渉は決裂するが、宮城を遥拝。自決はできないので、
自分の剣を置いて共の者に首を斬らせようという意なのやもしれません。


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古美術・骨董品のオークション 古裂會 (こぎれかい)



p22





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武村卜居作 [西郷漢詩]


 卜居勿道倣三遷
 蘇子不希兒子賢
 市利朝名非我志
 千金抛去買林泉

 
 卜居を道(い)う勿れ 三遷に倣うと、
 蘇子は希わず 児子の賢。
 市利朝名は我が志に非ず、
 千金を抛ち去りて林泉を買いしなり。
 
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3句で明治6年下野あたりかなと思ったが違った。
明治2年6月に賜った償典録で後に私学校を建てるが、
この年に上之園から武に転居する。その際に詠む。

解説から多くを知る。
「卜居」土地の良し悪しを占って引っ越し先を決めたようだ。
「三遷」が孟子の母が子の教育のために転居を重ねた故事。
蘇武は自分が聡明であったために左遷されたため子の賢を願わなかったという。
「蘇東坡詩」を西郷は読んでいた。

司馬が言う西郷が桐野を好んだように薩摩人の学よりも気性を優先する本音でもあるのでしょう。
明治4年正月に上京し、6年10月末に下野、10年2月の出陣であり、
猟や湯で留守しがちだった晩年の住まいのようだ。

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西郷隆盛が育ち、最期も迎えた鹿児島城下 かごしまの旅




p17





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感懐 [西郷漢詩]


幾歴辛酸志始堅
丈夫玉砕愧甎全
一家遺事人知否
不為児孫買美田


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幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、
丈夫は玉砕すとも甎全を愧ず。
一家の遺事を人知るや否や、
児孫の為に美田を買わず。


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明治4年ごろ作だという。
4句を明治維新でのどさくさ成金への批判という解説が一般だという。
が、1句2句がメインで、特に2句の「玉砕」が詩眼のようだ。
「チェスト行け!」「木剣人」気質を象徴しているという。
平仄や音のことは分かりませんが、面白い解説でした。











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改訂完成稿詩 [西郷漢詩]



肥水豊山路已窮
墓田帰去覇図空
半生功罪両般跡
地底何顔対照公


肥水豊山 路已に窮れり、
墓田に帰り去かん 覇図も空し
半生の功罪は 両般の跡
地底にて 何の顔ありてか照公に対せん。


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「覇図も空し」を明治再維新の覇図とする。それが西郷の公式見解なのでしょう。
多くの死人を出した以上、それを貫くべきなのでしょうが、
そもそもはじめから起こす気はなかったし、始まってからは西郷は桐野に任せ政府軍に勝つつもりだったのかも疑問です。多くの不平士族らと死んであげたのかなと思います。
本音は、「覇図はそもそも空し」なのやもしれません。

斉彬を照師から照公にする。より尊敬と恩愛が込められているようだ。

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絶筆習作稿詩 [西郷漢詩]

肥水豊山計百非
墓田帰去断塵覊
半生功罪両般事
地底何顔対照師


肥水豊山 計りごと百も非なり
墓田に帰り去き 塵覊を断たん
半生の功罪は 両般の事、
地底にて 何の顔ありてか照師に対せん。


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解説が充実し感激する。
肥後の水と豊後の山々、・・・ 失敗に終わり、
他の戦地もあるが、詩的には「肥水豊山」がいい。
「墓田」が郷里の墓なので、薩摩に戻って死のうと思う、となる。
功罪あった人生、「照師」が斉彬で、どういう顔をしてお会いしたらいいだろうかと書く。
「地底」の語を選んだのは、斉彬様とお会いするのに地獄とは書けない。

西郷は本心では、罪はあるが改宗し天の末席には入れてもらえるだろう。
斉彬様とは地底で少しばかり再会できるやもしれないが、どういう顔をすればいいのだろうか。
...やもしれません。

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p7




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