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李侍郎の 常州に赴くを送る <賈至> [漢詩]


雪晴れ 雲散じて 北風寒し
楚水(そすい)呉山(ござん) 道路難(かた)し
今日 君を送る 須(すべから)く酔いを尽くすべし
明朝 相憶(おも)うも 路漫々


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賈至、李白、李白の叔父の李曄の3人が仲良かったが、
李曄が左遷されることとなり、前夜に語り合った。
「えごいすとな思想」ページを見つけることができ嬉しいですね。


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えごいすとな思想






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163 二上山 大伯皇女 [万葉集]

 神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君もあらなくに  (163 大伯皇女)

 見まく欲り 我がする君も あらなくに 何しか来けむ 馬疲るるに  (164)

 うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山を 弟背と我れ見む  (165)

 磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに  (166)


 百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (416 大津皇子)

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 弟が処刑され、自分も斎宮を離れることになる。重罪人の姉ということだったのでしょう。が、都で住む場所は与えられたようだ。皇子宮というようだ。
よって彼女の歌を知ることが可能となったのでしょう。
416では大津皇子の辞世も残していた。万葉集の凄いところなのでしょう。

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古典に親しむ





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贈りて別る <杜牧> [漢詩]


多情は 却って似る  総じて無情なるに,
惟だ覚る 罇前に  笑ひを成さず。
蝋燭 心有りて  還(な)ほ 別れを惜しみ,
人に替はり 涙を垂れて  天明に到る。


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愛するが故に別れの席で固まってしまう。無情と変わらない。
蝋燭が自分の悲しみを分かってくれて泣いてくれている。
素晴らしいですね。蝋燭に心があって涙を流すとした。

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漢詩の朗読 左大臣光永






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107 山のしづくに 大津皇子 [万葉集]

 あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに 
                         (107 大津皇子)

 我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
                         (108 石川郎女)


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「万葉集の日記」の解説では、石川郎女が草壁皇子の愛人だった説を採用。
津守の占いで明らかとなり、居直り109の歌となる。そして鵜野皇女が大津を失脚させる手立てとしたとある。
石川郎女がトラブルメーカーかと最初は思ったが、立場が危うくなった大津と共に自分も処刑されるやもしれないとの覚悟の上でのことのようだ。

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万葉集の日記





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孟浩然に贈る <李白> [漢詩]


吾は愛す 孟夫子
風流 天下に聞こゆ
紅顏 軒冕を棄て
白首 松雲に臥す
月に醉うて頻りに聖に中り
花に迷いて君に事えず
高山 安んぞ仰ぐ可けんや
此より清芬に揖す


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孟浩然は、科挙には受からなかったものの詩の才能に恵まれたという。
官職の面接をすっぽかす余裕があったようだ。
李白が心酔して詩を書く。これも羨ましい生活です。

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漢詩の朗読 左大臣光永






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105 姉と弟 大伯の皇女 [万葉集]


 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし (105)

 ふたり行けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ (106)



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弟である大津皇子が伊勢に訪ねてきて見送った際の歌。
同母の姉弟だったが母は他界し、天武天皇崩御後の危険な時期だった。
24で漢詩と武勇に優れ人望があったが、1つ上の草壁皇子は病弱だった。
とはいえ皇后の子でない以上、自分には無理だと分かっていたはずで、
野心はないだろうに残念なことだと思った。
が、↓のページの図に驚く、サッと読んだだけだが、「石川郎女」なる存在がいるようだ。
続きがあるようだ。明後日の楽しみにしておきます。



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万葉集の日記






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春望詞 <薛濤> [漢詩]


花開くも 同に賞せず、
花落つるも 同に悲まず。
問はんと欲す 相思の處、
花開き花落つるの時。


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長く会えないでいる人を思い問いかけている詩だという。
実際に特定の相手に向かってかは分からない。
それでも、気持ちが伝わってくる歌で、漢字の並びも美しい。

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cogitoの部屋






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103 雪の朝ー我が里に大雪ふれり [万葉集]

 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後
                             (103 天武天皇)

 我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
                             (104 藤原夫人)


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 1㎞も離れていない距離なので共に雪が降った。
当時、雪はめでたいもの、豊年のしるしだったという。
天武天皇は喜び、先に軽口を送った。
それに夫人も乗ってくる。

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万葉集のかたわらにキーボード





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江楼にて感を書す <趙嘏> [漢詩]


独り江楼に上れば 思い渺然たり
月光水の如く 水 天に連なる
同に来って月を翫びし 人は何処ぞ
風景依稀として 去年に似たり


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 漢詩では女性のことを歌うことは珍しいという。
が、自死だったのでしょう。これほど悲しいことはなく、
表現せずにはおれなかった。
これは読む詩であり、吟ずる詩ではないのやもしれません。

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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会






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92 秋山の木の下隠り 鏡王女 [万葉集]

 秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ増さめ 思ほすよりは  (92)

 妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを (91)

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 天智天皇の91番歌に答えた歌。大島の嶺にあなたの家があればいいなぁとする91の解釈と、天智天皇の家が大島の嶺にあればとする↓のリンク先の解釈がある。
後者によると、山の上から見れば、樹々に隠れた水の流れなど見えない、
(私の思いなど決して分かるはずがありません)という切り返しとなる。

木を(落葉)と見ることもできるようだ。
落ち葉に散り敷いた川で表面が見えない状態で、人目を避けて忍ぶ恋を表現しているようだ。

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天智天皇と鏡王女の歌 古典に親しむ





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