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戦没学生の手記から 二 [昭和]



喜びも はた悲しみも 何かせん この一瞬(ひととき)を 幸とこそ知れ
                              (筒井厚)

はろばろと まばゆき海を 椰子の実の うきつつ遠く なりにけらしも
                              (深沢恒雄)

わが妹は 母しなければ とつぐ今日 誰が帯結び 装ひするらむ
                              (松本光憲)


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3つ目は昭和20年5月入営し、沖縄に向かう途次に妹に贈ったという。
母の代わりに叔母さんなり従姉妹なりがやってくれるのでしょうが、
お母さんにして欲しかったよな、と語りかけたのでしょう。
その兄もその月15日に戦死したという。

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きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫 青 157-1)





p266
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赤壁 <趙翼> [漢詩]

  

依然形勝扼荊襄
赤壁山前故壘長
烏鵲南飛無魏地
大江東去有周郎
千秋人物三分國
一片山河百戰場
今日經過已陳跡
月明漁父唱滄浪


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 三国志の赤壁で有名だが、日本語での解説ページが見当たらない。
「一片の山河」が「何のへんてつもない山河」で「百戦場」は「重要な戦いが繰り広げられた」と訳すようだ。
味わい深いですね。

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大田南畝 [江戸]



 これまでは 他人の事だと 思うたに 今度は俺か これはめいわく


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劇作者、狂歌師。さすが狂歌師の粋なのでしょう。
「めいわく」は死が自分にとって迷惑であり、
自分の死が家族や弟子たちにとって迷惑にもなると両方含んでいるのでしょう。

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没後200年 江戸の知の巨星大田南畝の世界




p244
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587 我が形見見つつ偲はせ 笠郎女 [万葉集]



 我が形見 見つつ偲はせ あらたまの 年の緒長く 我も思はむ


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 笠郎女が大伴家持に29首贈ったという。
4首6組の24首の歌群に整理できるようだ。
形見は現在では遺品を意味するのでしょうが、当時は離れた人を思い出す品で鏡や衣類だという。

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万葉集の日記






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金井三笑 [江戸]



 狂言も かきつくしけり 今さらに 何をしからん 命毛の筆


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22で帳元だったが、狂言作家に転身したという。
100本以上の作品を書いたが、残ったのは1つだけ。
本読みという作業中は帯刀し威嚇して俳優を黙らせることで、
劇作の主権は俳優でなく狂言作者であるという気概を見せたそうだ。

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金井三笑 歌舞伎用語案内




p243
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秋風や 藪も畠も 不破の関 [芭蕉]



あきかぜや やぶもはたけも ふはのせき


貞亨元年(1684) 41歳

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古代三関を学ぶ。外からの侵入を防ぐのではなく、謀反人等を外に出さないこと機能があったという。壬申の乱で大海人皇子が美濃尾張で力をつけたからだった。
その関も今では藪や畠だと芭蕉は詠んだ。
これはいいですね。壬申の乱、関ケ原の戦を経ていることが味わい深くなるのでしょう。

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山梨県立大学 芭蕉DB


不破関とは 関ヶ原町歴史民俗学習館








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大伴家持 [上代]



 新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)


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 『辞世百人一首』の解説は詳しい。他界する20年前の歌で歌わなくなる。
『万葉集』最後の歌とした。
「雪のように積もれよ、良ことが」と望みを歌ったが、
現実の動きは、ゆったりと歌人として過ごすことが許されなかったようだ。
日を改めて、家持を学びたいですね。

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辞世の句(その2)奈良時代 大伴家持・山上憶良




p25
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春望 <杜甫> [漢詩]

  
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
峰火 三月に連なり
家書 萬金に抵る
白頭掻いて 更に短かし
渾べて簪に 勝えざらんと欲す


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 最初の2句を首聯と言うらしいが、その記憶があるのみだった。
「國」は武装した村の意の漢字に□で囲んだことを知ったり、
「峰火」を戦火と訳しているが、本来は敵の来襲を知らせる狼煙のことだった。
芭蕉が『奥の細道』で引用していることで有名だそうだ。

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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会







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戦没学生の手記から 一 [昭和]



手折りたる 土筆なつかし 故郷の 妹がつみしも 同じこの季節
叱られて 土掘る兵は 愛(かな)しけれ 世にある時の 姿想へば
                             山岸久雄

この朝け 遺言状など 書きをりし 戦友なりしかな 泪にじみ来
                             竹村孝一


消ゆべきは 跡なく消えて 夜の海に 巨大空母は ひた燃えさかる
デング熱に 身体痛めば 苦しさに つい名を呼びぬ 椰子を打つ風
                             榊原大三



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 「きけ わだつみのこえ」からだそうだ。三人とも東京帝国大学だった。
病気で内地送還となっても陸軍病院で亡くなったり、中国の華中での戦死、
パラオペリリュウ島での戦死だった。

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きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫 青 157-1)




p266
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503 さゐさゐしづみ 柿本人麻呂 [万葉集]



 玉衣の さゐさゐしづみ 家の妹に 物言はずに来にて 思ひかねつも


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「さゐさゐしづみ」が未詳だそうだ。私は、

「何度も着込んで傷んだ一張羅を着て・・・・」

と訳したのですが、ひょっとしたら当たりなのかなと思ってしまいます。

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万葉集 現代語訳 巻四相聞500・501・502・503・504 讃岐屋一蔵


大和の国のこころ、万葉のこころ






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