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命二つの 中に生きたる 桜かな [芭蕉]


いのちふたつの なかにいきたる さくらかな


貞亨2年(1685) 42歳


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19年ぶりの再会で当時10代の少年だった土芳との再会だった。
「命」を使うというのは2人とも生きていたという奇跡のようなという感動も含む。
傑作だった。

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山梨県立大学 芭蕉DB







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戦没学生の手記から 六 [昭和]


 君がため われゆくてふに うからやから 来りどよもす 雪の朝かも

 はたとせと 三つのいのちは うつしよに かふるものなし 母のふみみる
 
                          

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 井上長(ひさし)。文一。昭和20年7月24日。海軍中尉。23歳。
「うからやから」は親族。「どよもす」は騒がせる。だそうだ。
1首目は学徒出陣の際だという。連作の1つだそうだが趣味としても年季が入っていそうです。

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―日本戦没学生の手記 (岩波文庫 青 157-1)





p267
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除夜 [西郷漢詩]


白髪衰顔非所意
壮心横剣愧無勲
百千窮鬼吾何畏
脱出人間虎豹群


白髪衰顔は意とするところに非ざるも
壮心あり剣を横たへ勲無きを愧づ
百千の窮鬼を吾何ぞ畏れんや
脱出せん、人間虎豹の群



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明治10年2月の私学校生暴発後鹿児島へ向かう途中で書かれたという。
2009年4月に絶筆漢詩が見つかるまで、この作品が絶筆とされ、
勝海舟は、この作品を拝借して書き変えたという。
3.4句がさすが西郷なのでしょう。
多くの戦死者が出ることは畏れるものではなく、
この虎や豹のような連中からサヨナラしたいということなのでしょう。

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【模写】喜聞◆『西郷隆盛(西郷南洲) 除夜漢詩文三行書』 yahooオークション




p29





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天狗党の乱 四 [幕末]

 
国のため あはれ木の葉の 軽き身を 君に捧げて 行く旅路かな
                          (藤田自明)

強ひて吹く あらしの風に あふ花は いさぎよく散れ いさぎよく散れ
                          (国分信義)

皇国の 御為めと思へば たちたたぬ 勲はと問はじ 日本魂
                          (米川和常) 



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新撰組は乱暴者の芹沢鴨を始末して規律を保とうとしたが、
天狗党は自前で調達する必要があり、「寄付のお願い」では足りなかったのでしょう。
が、捕まる頃には飲まず食わず状態だったようで、悪い連中は一部だったのでしょう。
それにしても前近代での罪人への扱いは、赤穂事件でもそうですが、
徳川との距離で過酷度が変わってくるのやもしれません。
どなたか数式で表現してくだされば嬉しいです。

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田沼意次の子孫が、張り切りすぎて…… NHK読むらじる






p264
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815 梅花の宴 正月たち春の来らば 第弐紀卿 [万葉集]


正月(むつき)立ち 春の来らば かくしこそ

       梅を招(を)きつつ 楽しき終へめ


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中国の落梅の詩にちなんで日本でも歌おうということだそうだ。
「令和」の起源にもなったという。
第弐紀卿とは大宰府次官の紀男人だという。

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第29図 太宰府梅花宴の歌(三十二首は 815~846)


大和の国のこころ、万葉のこころ




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千屋熊太郎 [幕末]


 
 ますら男の 身は朽ちぬとも まこころは とどめて国の 末を譲らん


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土佐の庄屋だという。
緒方洪庵の義弟にあたる研堂から医学を学び地元で開業。
野根山屯集に加わり21で処刑。

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コトバンク


二十三士の墓(福田寺)




p258
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唐崎の 松は花より 朧にて [芭蕉]


からさきの まつははなより おぼろにて


貞亨2年(1685) 42歳


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朧といえば桜で春だという。
唐崎神社から松を通して琵琶湖を眺める。なるほど絶景なのでしょう。

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「滋賀の魅力」ブログ 一般社団法人 東京滋賀県人会








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赤穂浪士 四 [江戸]

 
 春来んと さしもしらじな 年月の ふりゆくものは 人の白髪
                            (前原伊助)

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 浪人になり直ぐに商売を始めたようだ。
利益無視の安売りで吉良邸の召使いを手なづけたそうだ。

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赤穂においでよ




p249
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辞闕 [西郷漢詩]

独不適時情 独り時情に適せず
豈聴歓笑声 豈歓笑の声を聴かむや
雲羞論戦略 羞を雪がむとして戦略を論ずれば
忘義唱和平 義を忘れて和平を唱ふ
秦桧多遺類 秦桧遺類多く
武公難再生 武公再生し難し
正邪今那定 正邪今那ぞ定めむ(定まらむ)
後世必知清 後世必ず清を知らむ


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 明治6年11月、下野後の心境を五言律詩にする。
南宋の宰相秦檜が抗金派を弾圧したことを重ねる。

どうも先日の「朝鮮国之命」と合わせて西郷の真意がどこにあったか疑問を抱く。
七言律詩を6字づつ緊張気味の字で書いていること、下野直後の字がのびのびしている。
西郷は不平士族の暴発を抑えるために彼らのエネルギーを代弁する立場に徹していたが、実は真意の通りだったのではないか、その場合は桐野や別府ら誰にも言わず、明かすとすれば従道だけなのやもしれません。現段階では、妄想を巡らしておくとします。

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西郷隆盛と新収蔵品展


西郷南洲 「朝鮮国之命」書巻物




p25





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中山信名 [江戸]


 
 酒も飲み 浮かれ女もみつ 文もみつ 家も興しつ 世に恨みなし



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和学講談所の首席教授でありながら狂歌師のような辞世を遺す。
美学や倫理は選択科目だったのでしょう。

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茨城県立歴史館


中山信名「鎌倉祗候の武士」より 坂口太郎




p244
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