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熊谷直之 [戦国]



 あはれとも とふ人ならで とふべきか 嵯峨野ふみわけ 奥の古寺


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 本能寺の後、秀吉につき関白になった秀次の家老になったという。
誰しもが羨んだのでしょう。秀頼誕生がなかったら秀吉死後の動乱の中で派手な動きをし有名武将として名を残したのやもしれません。


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熊谷直之の辞世 戦国百人一首54 明石 白(歴史ライター)




p239
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三村元親 [戦国]


 ひとたびは 都の月と 思ひしに われ先づ夏の 雲にかくるる

 人という 名をかる程や 末の露 消えてぞ帰る 本の雫に


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 戦国の厳しさの分かる回でもありました。
無念の死の前に書き残すが、日本の文化が染み入ります。

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三村元親の辞世 明石 白(歴史ライター)




p238
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薬師寺元一 [戦国]



 冥土には 能若衆の ありければ 思ひたちぬる 旅衣かな

―地獄には よき我か主の あるやとて 今日おもひたつ 旅衣かな


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 辞世の伝わり方が微妙に違うようですが、
薬師寺元一は細川政元との主従関係があったが、謀反に失敗する。
上品な話ではないが、ありがちなことだったのでしょう。

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ふたつの淀城 薬師寺元一の意味深な辞世



p238
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中川清秀 [戦国]



 中川も 今は三途の 川ぞかし 同じ淵瀬に 身をば沈めむ


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 摂津の武士ということで長文だったが興味を持ち読む。
はじめ池田勝正に仕えて、池田知正、荒木村重、信長、秀吉と主君を見事に変えていく。自分は賤ケ岳の戦いで死ぬが、中川家は関ケ原では東軍につき、
豊後岡藩約7万石で落ち着き、明治で華族、伯爵となる。
武将として引くことができないとの低評価を受けてはいるが、
家として考えれば、その死が生きており天晴な生き方だったのでしょう。

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中川清秀由緒地


歴史の読み物



p239
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中村文荷斎 [戦国]


 契あれや 涼しき道に 伴ひて 後の世までも 仕へ仕へむ


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 柴田勝家の臣。夫妻の自刃の後に殉じた。
「涼しき道」が極楽浄土との解説もある。
この世の乱世に対する言葉なのでしょう。
逃げることも可能だったのでしょう。心打ちますね。

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中村文荷斎の辞世 戦国百人一首80




p239
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谷宗牧 [戦国]


 もみぢ葉は 常なき風に ちりぬとも なほ木のもとを あはれとは見よ


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戦国の連歌師、天文(1532)より、第一人者だったという。
三好長慶、尼子晴久、北条氏康ら大小名、名族に厚遇されたそうだ。

もみじ葉と木ですが、人間にもなのでしょう。

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谷宗牧と蕨餅




p241
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織田信長 [戦国]


 今川の 流れの末も 絶えはてて 千本のさくら 散りすぎにけり


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 本能寺での「是非に及ばず」が光秀の謀反を知った時の言葉とされている。
また、「人間(じんかん)五十年、下天(化天)の内をくらふれハ、夢幻の如く也」
と『敦盛』は、しばしば舞ったという。

その50日ほど前、武田征討の後に駿河で家康の饗応を受けている際に歌ったのが、
本来の辞世なのでしょう。
絶頂だったのでしょう。他人・他家の不幸を肴にするのは厳禁なのでしょう。

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戦国ちょっといい話・悪い話まとめ




p238
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石川五右衛門 [戦国]



石川や 浜の真砂は つくるとも 世に盗人の 種は尽くまじ


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貿易商・ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンの『日本王国記』や山科言経の日記に記され実在とのことでした。
城山三郎『黄金の日日』では堺の今井宗久の下で働いていたので、堺衆を狙うことはなかった。大河ドラマでは教会に侵入して貴重品を盗もうとする。
珍しい物が多いでしょうから五右衛門も実際に実行したのやもしれません。

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石川五右衛門の辞世  明石 白(歴史ライター)




p241
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細川玉 [戦国]

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

先立つは 同じかぎりの 命にも まさりて惜しき 契りとぞ知れ


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あまりにも有名な辞世でしたが、もう一つあった。
忠興の狂気に動じないガラシャだったが、鬼と蛇の関係だった。壮絶でした。

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細川忠興とガラシャの壮絶夫婦物語

細川ガラシャ夫人の墓




p80
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千利休 [戦国]

 人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺


  堤る わが得具足の 一つ太刀
   
   今この時ぞ 天に抛げうつ    

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 武勇を前面に出した辞世で、とても茶人とは思えないが、置き替えて読む解釈を知る。利休の茶道が大成することを確信し孫に託すにしても、
後世こうして読まれることも想定し。怒りや無念の感情も含めて表現したのでしょう。

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謎だらけの利休の辞世の句は、孫の宗旦に当てた心の叫びだ!



p80
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