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宴城東荘 <崔惠童> [漢詩]

  

   一月主人笑うこと幾回ぞ、
相逢い相値うて且く杯を銜まん。
眼に看る春色流水の如きを、
今日の残花昨日開く。


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1か月の中に笑うことが何回あるのか、これは荘子を踏まえていた。
起句の「主人」は「人生」の誤りではないかと指摘されているのは、
「孤平」だからだという。音が不自然なのでしょう。
玉井氏の解説は読みやすくも深く勉強になります。

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神奈川県漢詩連盟 玉井幸久






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273 鶴さはに鳴く 高市黒人 [万葉集]


磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に 鶴さはに鳴く
           

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琵琶湖の岸を舟で廻ると港ごとに鶴が鳴いているという、
見聞きした様を綺麗に歌にしている。
解説の黒人と人麻呂の歌から資質の違いと、歌の世界の幅の広さの解説に納得する。

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古典に親しむ





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命なり わづかの笠の 下涼み [芭蕉]


 いのちなり わづかのかさの したすずみ


延宝4年(1676) 33歳


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↓ページの解説の、「小夜の中山」というのは静岡県掛川市佐夜鹿に位置する峠のようだ西行の「命なりけり」の歌を本歌として芭蕉が詠んだという。
「下涼み」から「涼み松」と呼ばれ周辺の地名にまでなったという。

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お茶街道の旅







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月照 [幕末]

雲(くもり)なき 心の月の 薩摩潟 沖の波間に やがて入りぬる

大君の 為には何か 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも


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西郷と入水し他界した僧。西郷は助けられた。
ここの解釈で私は西郷は助けられることを前提に月照と入水したのではと人格を疑っていたが、それは違うだろう思うようになりました。

後難を恐れ月照殺害の命となった以上、実行せざるを得ないが、
成彬斉彬への殉死を止めてもらったりと深い同志であり1人で死なせるのは残酷であり、
付き合うことにする。が近くに平野らもいるので助けられるやもしれないが、
生死は天に任せることにしようと死を覚悟した。
が、蘇生した西郷は自分を恥じ、辞世を更新しようとはしなかった。
そうだと思いたいですね。


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月照とは?西郷隆盛と月照上人の関係や辞世の句などを解説! 歴史人



p141
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秋浦歌 <李白> [漢詩]

  

白髪 三千丈
愁いに縁って 箇の似く長し
知らず 明鏡の裏
何れの処にか 秋霜を得たる


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一丈が約3.3m なので一丈でも半丈でも誇張表現だが、
李白は「三千丈」とした。そこまですると悲哀がユーモラスに変わるのでしょう。
そして歌われ続けることになったのでしょう。
現実生活は長安追放で放浪と失意であっても、テンションは決して低くはなく、
生命力は力強く流れているのでしょう。

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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会






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271 鶴鳴き渡る 武市黒人 [万葉集]

桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚千潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る

           

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鶴は「たづ」と読み歌語だという。
桜田も年魚千潟も名古屋市あたりの入海だという。
斎藤茂吉が評するように、地名が2つ、「鶴鳴き渡る」を重ねたことで、
内容が単純となったが、唯一の現在的内容が高古になったのでしょう。
シンプルだが、音としてもいい響きだと思います。

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古典に親しむ



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雲と隔つ 友かや 雁の生き別れ [芭蕉]


 くもとへだつ ともかや かりのいきわかれ 


寛文12年(1672) 29歳

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伊賀上野の人で29で江戸にでてきたという。
日本橋本船町名主の小沢を訪ねたのは、俳人ネットワークのようだ。

雁の別れが春の季語だという。
雁が秋に戻ってくるように、自分もまたいつかは戻ってこようという意で、
雁と仮がかけられているようだ。
解説を読み、思わず「あぁ見事」口にする。

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芭蕉発句全集






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織田信長 [戦国]


 今川の 流れの末も 絶えはてて 千本のさくら 散りすぎにけり


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 本能寺での「是非に及ばず」が光秀の謀反を知った時の言葉とされている。
また、「人間(じんかん)五十年、下天(化天)の内をくらふれハ、夢幻の如く也」
と『敦盛』は、しばしば舞ったという。

その50日ほど前、武田征討の後に駿河で家康の饗応を受けている際に歌ったのが、
本来の辞世なのでしょう。
絶頂だったのでしょう。他人・他家の不幸を肴にするのは厳禁なのでしょう。

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戦国ちょっといい話・悪い話まとめ




p238
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偶成 <朱熹> [漢詩]

  

少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず池塘 春草の夢
階前の梧葉 已に秋声


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朱熹自身がまだまだ学問を成就したとは自分で思っていない自省の歌と解釈することもできるという。
が、科挙に最年少で合格し若く引退して年金暮らしで、朱子学を大成し一流の学者と評価されるに至り、そこまで謙虚になれるのかと疑問ではあります。
商業蔑視が流れる朱子学を作った人ならば、自らはかなり上位に置いているのでしょうから、
「あっと言う間やぞ」と弟子たちに言っていると思うのですが、どうなのでしょう。

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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会






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270 赤のそほ船 高市黒人 [万葉集]


旅にして もの恋しきに 山下の 赤のそほ船 沖に漕ぐ見ゆ
           

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高市皇子と勘違いする。高市黒人は下級官人で全て旅の歌で、「去る」もの「消えていく」ものが歌われているという。
今回は、船が沖に去っていく歌。
赤は赤土で腐食を防ぐためだそうだ。が、紺色の海に赤い船が小さくなっていく絵を想像させる歌であり、黒人のセンスなのでしょう。

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古典に親しむ





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