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村夜 <白居易> [漢詩]

霜草蒼々として虫切々
村南村北 行人絶ゆ
独り門前に出でて野田を望めば
月明らかにして 蕎麦 花雪の如し


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 こんな寂しい詩が何故紹介されるのか↓のサイトで説明してくれていた。
中国では親が他界すると喪に服して官職を一旦辞めて故郷に帰るとのことだった。
また白居易は娘も亡くしていた。

蕎麦の花や実、食べ方、ビタミンが多く含まれるなど確認する。
その意味でも有意義でした。

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白居易「村夜」 公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会






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20 あかねさす紫野行き 額田王と大海人皇子 [万葉集]


あかねさす 紫野行き 標野行き

 野守は見ずや 君が袖振る 
              (20 額田王)


紫草の にほへる妹を 憎くあらば

 人妻故に 我れ恋ひめやも
              (21 大海人皇子) 



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 天智7年(668)5月の薬狩りで、宴席を盛り上げるために
額田王が歌い、大海人皇子が返したという。もはや年数も経ち、
こういう際どい歌のやり取りでも落ち着いてできたのでしょう。

が672年の壬申の乱で大友皇子が自害となるが、
大海人と額田王の娘の十市皇女が大友の妃だったが、父に従ったという。

額田王を扱った作品が多いようだ。私は不勉強だったので知らなかったが、
そりゃ小説にも漫画にもなるでしょう。

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短歌のこと 光のことば、言葉のひかり





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和孔密州五絶東欄梨花 <蘇軾> [漢詩]


梨花(りか)は淡白にして柳は深青なり
柳絮(りゅうじょ)の飛ぶ時花は城に満つ
惆悵(ちゅうちょう)す東欄(とうらん)一株の雪
人生幾たびの清明をか看得ん

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蘇軾の名はかすかに記憶がある4~5人の1人ですね。
北宋の詩人で人生の意味を肯定的に描くという。
最後の「人生幾たびの〇〇をか看得ん」は使えそうです。

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大窪由郎のブログ

漢文委員会






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18 三輪山との別れ 額田王 [万葉集]


三輪山を しかも隠すか 雲だにも

心あらなも 隠さふべしや


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 遷都で飛鳥から山城を経て近江へ向かったようだ。
日頃見慣れた三輪山を離れるが、見納めだと思っていたのでしょう。
何度も振り返って記憶に焼き付けておきたいのに、雲が隠してしまうのでしょう。
大海人皇子と別れ中大兄皇子に従う額田王の切ない気持ちの表れとも読めるという。
額田王も歌人、表現者として何らかの気持ちを表現せずにはおれないのでしょうから、
十分にあり得るのでしょう。

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額田王 やまとうた




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16 春秋の優劣 額田王 [万葉集]


冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし怜し 秋山我は


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天智天皇が藤原鎌足に春と秋のどちらが趣が深いか尋ねて、
額田王が即興で歌で判定したという。

万葉の頃の紅葉は「黄葉」だった。手に取って「偲ふ」「しのふ」という。
奈良時代は「しのぶ」と濁らないという。思い慕う、賞美するだそうだ。
優劣を決めるのに基準が必要で額田王は手に取ることを提示し感嘆されたのでしょう。

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額田王 やまとうた





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勧酒 <于武陵> [漢詩]


君に勧(すす)む金屈卮(きんくつし)
満酌(まんしゃく) 辞(じ)するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨(ふうう)多(おお)し
人生(じんせい) 別離(べつり)足(た)る


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井伏鱒二訳を太宰治は酔うとよく口にしていたそうだ。
漢詩は難しく苦手意識が続いていたのですが、
今回、面白かったですね。左大臣さんに感謝です。


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漢詩の朗読 左大臣光永






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13 大和三山の妻争い 中大兄皇子 [万葉集]

 香具山は 畝傍惜(を)しと 耳成と 相争ひき
  神代より かくにあるらし
  いにしへも しかにあれこそ
  うつせみも 妻を 争ふらしき  
                  巻1-13 中大兄皇子

 香具山と 耳成山と あひし時
    立ちて見に来(こ)し 印南国原(いなみくにはら)  
                  巻1-14 同上
 
 わたつみの豊旗雲に入日さし
    今夜の月夜 さやけくありこそ 
                  巻1-15 同上

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 新羅征伐に向かう途中、播磨で中大兄皇子が詠う。
「播磨風土記」に出雲の神の「三山争いの仲裁伝説」を踏まえて、額田王の件と重ねたようだ。
 「ををしと」を「を惜し(を愛し)」とする説、「雄々し」とする説があるようだ。
前者で得意げに詠ったのではないかと思いますが、どうなのでしょう。


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万葉集遊楽

電子書籍 万葉集 解説サイト





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秋日 <耿湋> [漢詩]


返照 閭巷に入る
憂へ来りて誰と共にか語らむ
古道 人の行くこと少に
秋風 禾黍を動かす


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芭蕉や会津八一に影響を与えたという。
小さな村に入る。道は荒れているが、人は少なく、秋風が稲やキビを揺り動かしているという。
「古道」が昔からの道徳、という使い方もあるという。

ググってもこうやって調べて書いている方が少なからずおられ助かる。

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雁の玉梓 ―やまとうたblog―






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8 熱田津に 額田王 [万葉集]

 熱田津に 船乗りせむと 月待てば

  潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな



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 百済救援のために斉明天皇は船団を組んで西に向かった。
松山あたりで停泊し出発する際の歌だという。
額田王は女帝の側に仕えた随一の歌人で、翌年3月に博多に到着するが、その地で天皇が崩御され、中大兄皇子が準備し翌々年に白村江で大敗を喫することとなった。
「月待てば」は「満潮を待てば」の意だった。

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熱田津に 額田王  短歌のこと 光のことば、言葉の光





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滁州西澗 <韋應物> [漢詩]


獨(ひと)り憐(あはれ)む  幽草(いうさう) 澗邊(かんへん)に 生じ,
上に 黄鸝(くゎうり)の  深樹に 鳴く 有るを。
春潮 雨を帶びて  晩來 急に,
野渡(やと) 人 無くして  舟 自ら 橫たふ。


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路傍の花に数秒見入る心も最近は確認しておりません。
韋應物は詩人であるので、職業柄、ボーとすることも多いのでしょう。
それで心打つ詩が書けるのだからうらやましい限りです。

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抒情詩選






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