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42. 清原元輔 [百人一首]



  契りきな かたみに袖を しぼりつつ

   末の松山 波越さじとは



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 「末の松山」が宮城県多賀城市の古跡で、大波がこの松を超えることはないという伝承があり、それくらい心変わりはないと誓い合ったはずなのに、という恋の歌だった。
「袖をしぼる」が「泣き濡れる」という意でよく使われるという。
清少納言の父で優れた歌人で学者だったそうだ。

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千葉胤直 [中世]



   見てなげき 聞きて弔ふ 人あらば

     我に手向よ 南無阿弥陀仏


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 下総守護千葉氏第16代当主。初代は平常兼。
一族の争いで1455年に嫡男も自刃し、千葉嫡流が途絶え、
甥から武蔵千葉氏、下総千葉氏となる。

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<参考>


北総の名家 「千葉胤直・胤宣・けん族の墓」



p19






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41. 壬生忠見 [百人一首]



  恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり

   人知れずこそ 思ひそめしか



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 村上天皇が40番歌を選択し負けた歌。40・41が恋歌の名勝負とのことでした。
定家が2つをセットとして並べ置いた。
「そめ」が「初め」で、「しか」が「き」の已然形とのことだった。
「まだき」が「早くも」と現代人には分かりにくい表現でした。

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平忠度 [中古]



  生きくれて 木の下かげを 宿とせば

    花や今宵の 主ならまし


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 清盛の異母弟。一ノ谷の合戦時の総大将。
腕塚のある地が腕塚町となったという。
敵味方に死を惜しまれたというのが分かる気がする渋い辞世でした。

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<参考>


兵庫ゆかりの伝説浮世絵 第三十六回


平忠度腕塚




p6






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40. 平兼盛 [百人一首]


 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は

   ものや思ふと 人の問ふまで



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 第三句「ものや思ふと」が上二句と下二句の両方にかかる役割だった。
「や」が疑問の係助詞だという。
「忍ぶ恋」という題での歌合せで、村上天皇の意で勝ちとなる。

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平維盛 [中古]


  生まれては つひに死ぬてふ 事のみぞ

   定めなき世に 定めありける


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 富士川の戦い、倶利伽羅峠の戦いで大敗。
死ぬ前にストレートな心境が表れている歌を詠んだと思ったが、
実は、沓冠(くつかぶり)というテクニックを使っており、少し感動する。
そういう楽しみ方もしていたとは恥ずかしながら驚きでした。

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<参考>


生まれては 真逆逆真@LINEBLOG



p6





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39. 参議等 [百人一首]


  浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど

    あまりてなどか 人の恋しき



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 『古今和歌集』から本歌取りするも、「句割れ」を起こす。
上の句の風景を荒涼としたイメージで捉え報われない不毛の愛を暗示していると解釈できる。
が、美しい風景と捉えロマンティックだと解釈することもできるようだ。

源等は有名な歌人ではなく『後撰和歌集』の4首だけなので、定家はこの歌に惚れ込んだと考えるべきなのでしょう。

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源頼政 [中古]



  埋もれ木の 花咲く事も なかりしに

    身のなる果てぞ 悲しかりける


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 平家が滅ぶことを知らずに敗れてしまう。
これからという時だったのですが、無念が伝わってきます。

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<参考>


源頼政 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media




p4






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38. 右近 [百人一首]



  忘らるる 身をば思はず 誓ひてし

    人の命の 惜しくもあるかな



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「身」は自分、「人」は恋人で、対比させているという。
二句切れで、「あなたのことが心配なの」と「あなた、神罰で死ぬわよ」という意にも解釈できるようだ。
三句切れだと、私が誓ったとし、反省の意味になるという。
『大和物語』では二句切れで解釈している。

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中島三郎助 [幕末]


 郭公(ほととぎす) 我も血を吐く 思ひかな


 われもまた 死士(しし)と呼ばれん 白牡丹


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 浦賀奉行所与力の子で、最初に黒船に乗り込んで交渉した人物。
最期は五稜郭の敗戦の後も降伏勧告を謝絶して戦い父子3人共戦死する。
その地が、昭和6年に中島町とされる

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<参考>


中島三郎助父子最後の地~中島町~


『開陽丸21世紀新聞』平成23年3月31日発行 第18号




p150






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