天狗党の乱 四 [幕末]
国のため あはれ木の葉の 軽き身を 君に捧げて 行く旅路かな
(藤田自明)
強ひて吹く あらしの風に あふ花は いさぎよく散れ いさぎよく散れ
(国分信義)
皇国の 御為めと思へば たちたたぬ 勲はと問はじ 日本魂
(米川和常)
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新撰組は乱暴者の芹沢鴨を始末して規律を保とうとしたが、
天狗党は自前で調達する必要があり、「寄付のお願い」では足りなかったのでしょう。
が、捕まる頃には飲まず食わず状態だったようで、悪い連中は一部だったのでしょう。
それにしても前近代での罪人への扱いは、赤穂事件でもそうですが、
徳川との距離で過酷度が変わってくるのやもしれません。
どなたか数式で表現してくだされば嬉しいです。
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田沼意次の子孫が、張り切りすぎて…… NHK読むらじる
p264
千屋熊太郎 [幕末]
ますら男の 身は朽ちぬとも まこころは とどめて国の 末を譲らん
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土佐の庄屋だという。
緒方洪庵の義弟にあたる研堂から医学を学び地元で開業。
野根山屯集に加わり21で処刑。
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コトバンク
二十三士の墓(福田寺)
p258
近藤次郎太郎 [幕末]
君か為め 尽しし事の かひそなき あしたの原の 露と消ゆる身
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23士として墓まで作られたので地元ではかなり敬愛されているのでしょう。
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--野根山二十三士-- 008_近藤次郎太郎
二十三士の墓(福田寺)
p258
平田観之輔 [幕末]
武士の 捨る命は 惜しからず えみしを討たで 死すぞ口惜し
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対馬藩士。藩主に勝井の不法の書をもって訴えたという。
が、その勝井に幽閉され自刃。
無念であり、「えみし」を持ってきたのでしょう。
享年23という。
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勝井五八郎 対馬歴史人物伝
p256
木下慎之助 [幕末]
かすならぬ 身のなる果ては 惜しからす 世の為君の 為と思へは
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「かす」は数なのでしょう。16で謙虚に遺した。
兄は止めたが聞かなかったという。
サッカー選手の木下慎之輔氏とは「助」が違うが、頂戴したのでしょう。
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コトバンク
二十三士の墓(福田寺)
p256
萩原虎六 [幕末]
よしや身は 草むす野辺に 埋む共 君のなき名を 洗てすすかん
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他の無名の人たちの無念も、自分が洗い拭おうという意なのでしょうか。
24で死に際して他者へ思いを寄せている。清廉の士だったのでしょう。
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コトバンク
姫路藩 勤王十二士の墓
p254
市川豊次 [幕末]
露となり 草葉の下に 消ぬとも あかきこころは 世々に残さん
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「あかきこころ」を確かに残される。
元治元年(1864)12月26日に切腹。この年は池田屋事件、禁門の変、長州征伐の年であり、
彼らも全く希望を見いだせない中での辞世だったのでしょう。
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コトバンク 市川豊次
姫路藩 勤王十二士の墓
p254
江坂元之助 [幕末]
降積もる 雪に緑は うつむとも とけてあらはる 千代の松かえ
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年末に切腹。自分たちは雪の中死ぬことになるが、
春は必ず来て、藩を超えた同志がやってくれるくれるだろうという意なのでしょうか。
「松かえ」は「松が枝」だそうだ。
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コトバンク 江坂元之助
姫路藩 勤王十二士の墓
p254
木下嘉久次 [幕末]
死ぬる身を 何か恨みん かはねむす 草に花さく 時もあるへし
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土佐の郷士で清原の一族。文久3年(1863)の8月18日の政変の影響。
長曾我部遺臣の殉難も苛烈ですね。
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二十三士の墓(福田寺)
p256
野村助作 [幕末]
浮雲は また晴れやらぬ 身なれとも 露もこころを 世には残さし
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高杉が助けた野村望東尼の夫と前妻の孫。福岡藩士。五卿の接待係。
乙丑の獄で玄界島配流前に獄舎で病死という。享年24という。
拷問と栄養失調による衰弱死なのでしょう。
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比売嶋日記 野村望東尼の日記
p261