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天狗党の乱 三 [幕末]


 つひに身は 露と消ゆとも 皇国の 護りに残す 日本魂
                            村上正義

 来る燕 帰るかりがね 忘るなよ 又めぐり逢ふ 春もなき身を
                            檜山茂高

 東照る 神のめぐみを 受くる身の 命すつべき 時はこの時
                            川瀬知新



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義人かどうかは、赤穂浪士>天狗党 なのでしょうが、
それでも死罪にすべき者たちの劣悪な環境は苛烈過ぎるでしょう。

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田沼意次の子孫が、張り切りすぎて…… NHK読むらじる





p264
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碪打ちて 我に聞かせよや 坊が妻 [芭蕉]


きぬたうちて われにきかせよや ぼうがつま


貞亨元年(1684) 41歳


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藤原雅経の歌「み吉野の山の秋風小夜ふけて古里寒く衣打つなり」が念頭にあり、
宿坊の妻に打つ音を聞かせてくれと頼む歌のようだ。
なかなかアジな俳句だと面白味が分かってきました。

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野ざらし紀行 三重県 環境生活部 文化振興課 文化企画班


山梨県立大学 芭蕉DB







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太田六右衛門 (太田雅義) [幕末]



 ゆくすゑを いかにとおもうふ 心より いとと身にしむ 淀の川かせ


 惜むへき 年の暮るるを 悦ふは 身にうき事の あれはなりけり



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庄屋・酒造元だが飢饉で蔵を開き人望があり、ペリー来航の際は、村民から義金を募り幕府に献納だという。こういう人なので自分が多くを出したのでしょう。
文久3(1863)年「生野義挙」に加わったことで捕えられる。
獄中で病死。

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「生野義挙」から150年を経て(その15)義挙に参加した地元の豪農たち(4)




p260
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己亥の歳 <曹松> [漢詩]

  
沢国の江山 戦図に入る
生民何の計りごとあってか 樵蘇を楽しまん
君に憑る話すこと莫れ 封侯の事
一将功成り 万骨枯る


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「一将功成り 万骨枯る」という名言があり曹松作だという。
貧に苦しみながら71で科挙に合格したという。多浪を極めた人のようだ。
思わず崇めたくなりますね。

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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会






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鈴木蔵太 [幕末]



 すみ渡る 月もくもれる 世の中に 何をかこちて なく千鳥かな


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勝井五八郎の大獄に刑死。
江戸詰家老佐須伊織を惨殺した四十余名の一人という。
「かこちて」が「嘆いて」だという。
曇は勝井で、そんな世だが、何を嘆いて死んでいこうか、
と余裕を見せているのやもしれません。

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勝井 五八郎




p256
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502 小鹿の角 柿本人麻呂 [万葉集]

 
 夏野行く 小鹿の角の 束の間の 妹が心を 忘れて思へや
  

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決定的瞬間!エゾシカの角が落ちる

鹿の角が毎年1回3月に落ちると知る、映像を見て「おぉ」と感動する。
鹿の角を使って時間の間隔に変えるところが面白いところでした。

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万葉集 現代語訳 巻四相聞500・501・502・503・504 讃岐屋一蔵


大和の国のこころ、万葉のこころ





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赤穂浪士 三 [江戸]



 地水火風風のうちより 出でし身の たどりて帰る 元のすみかに
                          早水藤左衛門

 梓弓 春近ければ 小手の上の 花をも雪の ふぶきとや見ん
                          神崎与五郎

 先立ちし人も 有りけりけふの日を 終の旅路の 思ひ出にして
                          富森助右衛門



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神崎は商人になりすまし吉良邸を内偵したという。
赤穂出身とバレないように方言を消し偽の経歴を覚えるなどの努力もしたのでしょう。

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赤穂浪士四十七士の辞世 歌人・朝倉冴希の風花DIARY



p248
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芋洗ふ女 西行ならば 歌よまむ [芭蕉]

 

 いもあらふをんな さいぎょうならば うたよまむ



貞亨元年(1684) 41歳


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西行はよく歌を読んだようだ。
偉大な先人西行を芭蕉は敬愛したようだ。
芋は秋だという。

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【278】西行と芋を洗う女 小倉山荘








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赤穂浪士 二 [江戸]



 忘れめや 百に余れる 年を経て 事へし代々の 君がなさけを

 迷はじな 子と共に行く のちの世は 心の闇も 春の夜の月
                            小野寺 十内

 かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路
                            原 惣右衛門

 思ひきや 我武士の 道ならで かかる御法の 縁にあふとは
                            木村 岡右衛門 



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 『刃傷松の廊下』をよく歌ってましたが、嫌われるのでしょう。

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赤穂浪士四十七士の辞世 歌人・朝倉冴希の風花DIARY



p248
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烏江亭に題す <杜牧> [漢詩]

  

勝敗は兵家も 事期せず

羞を包み恥を忍ぶは 是れ男兒

江東の子弟 才俊多し

巻土重來 未だ知る可からず


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晩唐の詩人杜牧が項羽を惜しんで詠んだという。
四面楚歌の状況、恥を忍んで一時的な降伏が許される状況だったのか疑問ですね。
劉邦側で危険な種を残しておく理由は無いでしょう。
それを分かった上で、それでも杜牧は項羽を歌いたかったのやもしれません。

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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会






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