赤穂浪士 一 [江戸]
草枕 むすぶかりねの 夢さめて 常世にかへる 春のあけぼの
間 喜兵衛
君がため 思ひぞ積もる 白雪を 散らすは 今朝の嶺の松風
吉田 忠左衛門
命にも 易(か)へぬ一つを 失はば 逃げ隠れても 此れを逃れん
村松 喜兵衛
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昔、正月12時間ドラマを食い入るように見ました。
悪人吉良の陰湿ないじめにより浅野内匠頭の堪忍袋の限界となる。
失業した各人に感情移入していましたが将来の自分を感じていたのでしょう。
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赤穂浪士四十七士の辞世 歌人・朝倉冴希の風花DIARY
p248
501 昔からの思い 柿本人麻呂 [万葉集]
娘子らが 袖布留山の 端垣の 久しき時ゆ 思ひき我は
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「布留」が袖を振る、布留という地名にある石上神社のことらしい。
「端垣」が神社の周囲の垣だという。
自分が産まれる前のことからであろうが、そう表現するのも文化なのでしょう。
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万葉集 現代語訳 巻四相聞500・501・502・503・504 讃岐屋一蔵
大和の国のこころ、万葉のこころ
義弁 [江戸]
幾たびか きつつなれにし 唐衣 けふぬぎすてて かへる故郷
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「信濃の釈迦」と言われていたという。
中国かぶれだったが死ぬ間際になって郷土愛を取り戻したということでしょうか。
女性の場合は「十二単」の一番上に着る上衣のようだ。
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義弁 コトバンク
p243
馬に寝て 残夢月遠し 茶の煙 [芭蕉]
うまにねて ざんむつきとほし ちゃのけぶり
貞亨元年(1684) 41歳
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野ざらし紀行で、「小夜の中山」と場所を特定させるが、これが『新古今和歌集』の西行の詠んだ歌からで静岡の難所だそうだが、杜牧から引用し、静岡名産の茶を入れる。
こうやって解説を読んでいくと、さすがなのでしょう。
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山梨県立大学 芭蕉db
熊谷直之 [戦国]
あはれとも とふ人ならで とふべきか 嵯峨野ふみわけ 奥の古寺
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本能寺の後、秀吉につき関白になった秀次の家老になったという。
誰しもが羨んだのでしょう。秀頼誕生がなかったら秀吉死後の動乱の中で派手な動きをし有名武将として名を残したのやもしれません。
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熊谷直之の辞世 戦国百人一首54 明石 白(歴史ライター)
p239
従軍行 <王昌齢> [漢詩]
秦時の明月 漢時の関
万里長征 人未だ還らず
但龍城の 飛将をして在らしめば
胡馬をして 陰山を 渡らしめず
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王昌齢は七言絶句の名手だという。
解説で意味を知るが、家族の不安、悲しみが伝わってくる。
さだまさしさんの「防人の歌」もそうですが、染み入ります。
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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会
三村元親 [戦国]
ひとたびは 都の月と 思ひしに われ先づ夏の 雲にかくるる
人という 名をかる程や 末の露 消えてぞ帰る 本の雫に
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戦国の厳しさの分かる回でもありました。
無念の死の前に書き残すが、日本の文化が染み入ります。
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三村元親の辞世 明石 白(歴史ライター)
p238
499 百重にも 柿本人麻呂 [芭蕉]
百重にも 来及かぬかもと 思へかも 君が使の 見れど飽かずあらむ
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496番歌の「百重」と対になっている。496が人麻呂の想いなのに対して、
同じ人麻呂が女性となって歌っている。
創作説、妻説、他人の歌説とあるようだ。
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柿本人麻呂の歌 496-499 古典に親しむ