太田六右衛門 (太田雅義) [幕末]
ゆくすゑを いかにとおもうふ 心より いとと身にしむ 淀の川かせ
惜むへき 年の暮るるを 悦ふは 身にうき事の あれはなりけり
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庄屋・酒造元だが飢饉で蔵を開き人望があり、ペリー来航の際は、村民から義金を募り幕府に献納だという。こういう人なので自分が多くを出したのでしょう。
文久3(1863)年「生野義挙」に加わったことで捕えられる。
獄中で病死。
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「生野義挙」から150年を経て(その15)義挙に参加した地元の豪農たち(4)
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