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大村益次郎 [明治・大正]

 
 君のため 捨つる命は 惜しからで ただ思はるる 国の行末

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 明治2年に刺されて2か月後に大阪で亡くなる。
枕元の手帳の末尾に書かれていたという。
大村は和歌を詠まないので、長井雅樂の辞世を頂く。

長井は久坂や前原に暗殺されそうになり、後に「ぬれ衣」で切腹となる。
大村は木戸から100石で引き抜かれたが米25俵と反故にされたようだ。
そして刺してきたのが長州を含む攘夷過激派であり、
死に際になりほとほと長州が嫌になり長井に同情、彼の無念も知れるよう歌を頂戴したのでしょう。

第二の尊氏が西から攻撃してくると大坂鎮台を設置し備えさせたようだ。
「国の行末」は徴兵制に反対する薩摩兵と西郷をも想定しているのでしょう。

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神代直人の捕縛 -大村益次郎襲撃事件顛末-


花神 総集編 第4回 徳川を討て





p177
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