98. 従二位家隆 [百人一首]
風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける
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「楢」は奈良でなく京都の御手洗川のことだそうだ。
旧暦は7月1日から秋で、夏である6月30日に川での禊で
上半期の穢れを全て祓おうとの意だった。
「六月祓(みなづきばらえ)」というようだ。
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みそぎぞ夏の しるしなりける
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「楢」は奈良でなく京都の御手洗川のことだそうだ。
旧暦は7月1日から秋で、夏である6月30日に川での禊で
上半期の穢れを全て祓おうとの意だった。
「六月祓(みなづきばらえ)」というようだ。
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芹沢鴨 [幕末]
雪霜に 色よく花の 魁て
散りても後に 匂ふ梅が香
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時空旅人公式通販サイトなるページで丁寧な解説があった。
興味があれば買いたくなるでしょう。
近藤らが長州の仕業として殺害。そして喪主を務めたようだが、
素行が悪く仕方なかったようだ。
辞世に綺麗な歌を遺すところはキザな悪人なのやもしれません。
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新撰組・初代局長「芹沢鴨」の生涯について 歴史プラス
p127
散りても後に 匂ふ梅が香
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近藤らが長州の仕業として殺害。そして喪主を務めたようだが、
素行が悪く仕方なかったようだ。
辞世に綺麗な歌を遺すところはキザな悪人なのやもしれません。
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p127
97. 権中納言定家 [百人一首]
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや 藻塩の 身もこがれつつ
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定家が万葉集から本歌取りして少女となって歌う。
「藻塩」と「こがれ」が縁語でセットだそうだ。
「焦がれ」が焼いた海藻と少女の待ちこがれる姿を重ねているという。
技巧と心象、風景を見事に表現したのでしょう。
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焼くや 藻塩の 身もこがれつつ
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定家が万葉集から本歌取りして少女となって歌う。
「藻塩」と「こがれ」が縁語でセットだそうだ。
「焦がれ」が焼いた海藻と少女の待ちこがれる姿を重ねているという。
技巧と心象、風景を見事に表現したのでしょう。
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96. 入道前太政大臣 [百人一首]
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは 我が身なりけり
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花と言えば桜で、嵐で雪のように降るが、我が身のことだなぁと歌う。
「ふり」が「降り」「古り」の掛詞となっており、桜の花びらを雪と見立てる。
定家の義弟で頼朝の姪を妻とし、後鳥羽院の計画を漏らし出世したという。
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ふりゆくものは 我が身なりけり
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花と言えば桜で、嵐で雪のように降るが、我が身のことだなぁと歌う。
「ふり」が「降り」「古り」の掛詞となっており、桜の花びらを雪と見立てる。
定家の義弟で頼朝の姪を妻とし、後鳥羽院の計画を漏らし出世したという。
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島津義弘 [江戸]
春秋の 花も紅葉も とどまらず
人も空しき 関路なりけり
天地の 開けぬ先の 我なれば
生くるにもなし 死するにもなし
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関ケ原で西軍が敗れ、逃げるに際し東軍に突っ込み「島津の退き口」と呼ばれる。
「捨てがまり」で決死隊が足止めし300人中戻れたのは80人だという。
この体験が辞世にも影響を与えたようだ。
殉死を禁じたが13名が志願する。かなり慕われていたようだ。
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島津義弘の辞世 戦国百人一首⑬ 明石 白(歴史ライター)
p96
人も空しき 関路なりけり
天地の 開けぬ先の 我なれば
生くるにもなし 死するにもなし
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関ケ原で西軍が敗れ、逃げるに際し東軍に突っ込み「島津の退き口」と呼ばれる。
「捨てがまり」で決死隊が足止めし300人中戻れたのは80人だという。
この体験が辞世にも影響を与えたようだ。
殉死を禁じたが13名が志願する。かなり慕われていたようだ。
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島津義弘の辞世 戦国百人一首⑬ 明石 白(歴史ライター)
p96
95. 前大僧正慈円 [百人一首]
おほけなく うき世の 民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染の袖
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慈円が関白忠通の子で11で比叡山へ入り37で天台座主になったそうだ。
その過程で、憂き世にわが法衣で覆ってやろうという歌を詠んだ。
善導していこうという純粋な精神だったのでしょう。
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わがたつ杣に 墨染の袖
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慈円が関白忠通の子で11で比叡山へ入り37で天台座主になったそうだ。
その過程で、憂き世にわが法衣で覆ってやろうという歌を詠んだ。
善導していこうという純粋な精神だったのでしょう。
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島津義久 [江戸]
世の中の 米と水とを 汲み尽くし
尽くして後は 天津大空
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思い残すことはない、との意だが、現実にはそういう状況ではなかった。
娘婿が弟義弘の息子忠恒で島津当主だがかなり仲が悪かったようだ。
別の娘のことも気になっており、下のブログ主はこの辞世は「義久の辞世」として公表されたのではないかと分析される。
そういう可能性を考えれば、今までの辞世も疑うべきものがあったのでしょう。
なかなか奥深いものです。
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しいまんづ雑記旧録
p96
尽くして後は 天津大空
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思い残すことはない、との意だが、現実にはそういう状況ではなかった。
娘婿が弟義弘の息子忠恒で島津当主だがかなり仲が悪かったようだ。
別の娘のことも気になっており、下のブログ主はこの辞世は「義久の辞世」として公表されたのではないかと分析される。
そういう可能性を考えれば、今までの辞世も疑うべきものがあったのでしょう。
なかなか奥深いものです。
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しいまんづ雑記旧録
p96
94. 参議雅経 [百人一首]
み吉野の 山の秋風 小夜ふけて
ふるさと寒く 衣打つなり
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大江広元の娘婿で京都と鎌倉の仲介役だったそうだ。
蹴鞠も上手かったことで自邸が後にサッカー選手の信仰を集める白峰神宮になったという。
寂しくなった寒い古都で砧の音が聞こえてくるという。
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ふるさと寒く 衣打つなり
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大江広元の娘婿で京都と鎌倉の仲介役だったそうだ。
蹴鞠も上手かったことで自邸が後にサッカー選手の信仰を集める白峰神宮になったという。
寂しくなった寒い古都で砧の音が聞こえてくるという。
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蒲生氏郷 [戦国]
限りあれば 吹かねど花は 散るものを
心短き 春の山風
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信長の人質だったが見込まれ娘婿となる。本能寺を経ても秀吉に認められ会津92万石
を得るも40で死去。高山右近からキリシタンとなる。
息子の秀行が家康の娘婿でもあり関ケ原で東軍につくも、残念な結末でした。
さすが氏郷であり、哀愁ある上品な辞世を遺したようです。
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蒲生氏郷 三重の武将 - 刀剣ワールド桑名・多度
蒲生氏郷の子孫のその後
p78
心短き 春の山風
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信長の人質だったが見込まれ娘婿となる。本能寺を経ても秀吉に認められ会津92万石
を得るも40で死去。高山右近からキリシタンとなる。
息子の秀行が家康の娘婿でもあり関ケ原で東軍につくも、残念な結末でした。
さすが氏郷であり、哀愁ある上品な辞世を遺したようです。
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蒲生氏郷 三重の武将 - 刀剣ワールド桑名・多度
蒲生氏郷の子孫のその後
p78