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島津義弘 [江戸]

 春秋の 花も紅葉も とどまらず

  人も空しき 関路なりけり


 天地の 開けぬ先の 我なれば

  生くるにもなし 死するにもなし


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 関ケ原で西軍が敗れ、逃げるに際し東軍に突っ込み「島津の退き口」と呼ばれる。
「捨てがまり」で決死隊が足止めし300人中戻れたのは80人だという。
この体験が辞世にも影響を与えたようだ。
殉死を禁じたが13名が志願する。かなり慕われていたようだ。

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島津義弘の辞世 戦国百人一首⑬ 明石 白(歴史ライター)



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