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598 恋にもぞ人は死にする 笠郎女 [万葉集]


 恋にもぞ 人は死にする 水無瀬川 下ゆ我れ痩す 月に日に異に



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熱心なブロガーの解説に学ぶ。
水無瀬川と重ねて月に日に異なっていくと、上手いなぁと感嘆ですね。

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万葉集その九百二十二(笠郎女 熱情編) 万葉集遊楽




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萩原虎六 [幕末]



 よしや身は 草むす野辺に 埋む共 君のなき名を 洗てすすかん
 

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他の無名の人たちの無念も、自分が洗い拭おうという意なのでしょうか。
24で死に際して他者へ思いを寄せている。清廉の士だったのでしょう。

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コトバンク


姫路藩 勤王十二士の墓




p254
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草枕 犬も時雨ゝか 夜の声 [芭蕉]



くさまくら いぬもしぐるか よるのこゑ



貞亨元年(1684) 41歳


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旅をしている芭蕉が、時雨の寒い夜の犬の鳴き声に自分を重ねるが、
蕪村や一茶となると犬への愛情が込められている。
綱吉の生類憐みの令で人々が変質したのやもしれません。
1690年の「捨て子禁止令」前では、家計の事情で子どもを遺棄することは当たり前で、
よって芭蕉の捨て子への冷淡な態度も時代的にはおかしいものでもなかったのでしょう。法で禁止されなければ児童遺棄もかまわないという冷淡な文化を
綱吉が強引に人々に情を抱かせ変質させたのらば、偉人なのやもしれません。

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山梨県立大学 芭蕉DB


芭蕉と蕪村と一茶と犬








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宝田寿助 [江戸]



 それ辞世 さる程にまた 是までも むかしの人の 口真似をして


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「さる」は、この世を去ると、猿真似の意もあるのでしょう。
と言いながら、真似になっていないという自負もあるのでしょう。
狂言作者の心意気なのでしょう。

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コトバンク




p244
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山西の村に遊ぶ <陸游> [漢詩]

  

笑うこと莫れ農家 臘酒の渾るを
豊年客を留めて 鶏豚足る
山重水複 路無きかと疑う
柳暗花明 又一村
簫鼓追隨 春社近く
衣冠簡朴 古風存す
今從り若し閒に 月に乘ずるを許さば
杖を拄えて時と無く 夜門を叩かん


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 師走の酒は濁っているが鶏と豚はあるという。
昨日もキャベツと鶏豚だけの鍋と酒で過ごしたので冒頭惹き込まれる。

前途の見通しなく心配していると、突然に視界が開け花が咲き乱れる場所に出るという。それが「柳暗花明」だそうだ。別の意もあるので注意という。


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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会







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山上憶良 [上代]



 士(をのこ)やも 空しかるべき 万代(よろづよ)に

     語り継ぐべき 名は立てずして


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遣唐使の随員として長安にも行き、後の聖武天皇の東宮時代の教育も務めたという大秀才だが前半生が分からないという。伯耆の国主もするが、従5位下と低かった。
藤原不比等と同時代でもあり、穏やかな辞世を書く気にならなかったのやもしれません。
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鳥取県・とりネット




p23
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596 沖つ島守 笠郎女 [万葉集]


 八百日行く 浜の沙も 我が恋に あにまさらじか 沖つ島守


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最後に「沖つ島の島守さん」と呼びかける解説に唸る。
自分の住まいを沖つ島にし、自分は家を守っている。自問自答する。
実らぬ恋の名歌だとする。私もそう思います。

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第161話笠女郎 八百日行く  カクヨム




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松永貞徳 [江戸]



 露の命 消る衣の 玉手箱 ふたたひかけぬ みのりなるらん


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 室町俳諧から100年停滞した後に江戸初期で復活させたという。
彼自身は中世歌学の集大成が本意であり俳諧は余技だったが、
熱心な門弟に担がれ積極的に転じ巨大な流派を形成したようだ。
後に蕉風俳諧に繋がったという。

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【蕪村菴俳諧帖30】貞門俳諧




p88
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狂句木枯の身は竹斎に似たるかな [芭蕉]



きょうくこがらしのみはちくさいににたるかな


貞亨元年(1684) 41歳


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竹斎は藪医者だが、「侘びつくしたるわび人」だという。
自分もそうなのだと、狂句に生きる心意気を門弟に宣言したようだ。


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狂句こがらしの


山梨県立大学 芭蕉DB








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有子 [中古]


 はかなしや 浪の下にも 入りぬべし 月の都の 人や見るとて


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『辞世百人一首』では、藤原実定が厳島神社に行くことで清盛が喜び左大将にしたという。また、有子に短歌を贈ったが有子は引き下がったが、後で思いがつのり身を投げたとある。
が、有子は実定の寵愛を受けたという↓のリンク先の話もある。
また、厳島神社に詣でることは珍しくないことであり、時期が違う説もあるようだ。
難しいところです。

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平安時代の悲しい恋のお話ー月岡芳年の浮世絵より



p31
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