河合惣兵衛 [幕末]
ひをむしの 身をいかてかは 惜むへき たたをしまるる 御世の行末
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「ひをむし」という虫で、はかないものを喩えているという。
姫路藩士。家老河合家の庶流で、尊攘派だったが、藩主が酒井忠績で老中首座となっており当然に佐幕であり、甲子の獄になったという。
鳥取藩へ逃げるよう勧められたが、老母や仲間への危険を避けるため、
判決により自刃したという。
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姫路勤王の志士 河合惣兵衛 私的万覚書
p254
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「ひをむし」という虫で、はかないものを喩えているという。
姫路藩士。家老河合家の庶流で、尊攘派だったが、藩主が酒井忠績で老中首座となっており当然に佐幕であり、甲子の獄になったという。
鳥取藩へ逃げるよう勧められたが、老母や仲間への危険を避けるため、
判決により自刃したという。
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姫路勤王の志士 河合惣兵衛 私的万覚書
p254
朝顔に 我は飯食ふ 男かな [芭蕉]
あさがおに われはめしくう おとこかな
天和2年(1682) 39歳
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弟子の「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」に対して、生活態度を改めるよう窘めたようだ。
其角は師匠からありがたく頂いた以上、反省せざるを得ないのでしょう。
粋がって破門されたら、この世界で生きていけないのでしょう。
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山梨県立大学 芭蕉db
元杢網・知恵内子夫妻 [江戸]
あな涼し 浮世のあかを ぬぎすてて 西に行く身は もとのもくあみ
(元杢網)
六十(むそぢ)あまり 見はてぬ夢の 覚むるかと
思うもうつつ 暁の空 (知恵内子)
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江戸中期の狂歌師夫妻だそうだ。元杢網(もとのもくあみ)は湯屋を経営していたという。それが「あかをぬぎすてて」に繋がったようだ。
天明期に活躍したようだ。寛政の松平定信により、林子平の『海国兵談』が出版禁止、
恋川春町の自殺を経て、活動していたようだ。
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元杢網(モトのもくあみ) 生まれた元の地にねむる いしぶみ
p244
白帝城 <李白> [漢詩]
朝に辞す白帝 彩雲の間
千里の江陵 一日に還る
両岸の猿声 啼いて住まず
軽舟已に過ぐ 万重の山
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白帝城から江陵まで300㎞、あるいは600㎞との解説がある。
それを1日で下る表現を、千と一で対比させる。
それを猿で喩える。
これぞ漢詩の表現の醍醐味なのでしょう。
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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会
中村文荷斎 [戦国]
契あれや 涼しき道に 伴ひて 後の世までも 仕へ仕へむ
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柴田勝家の臣。夫妻の自刃の後に殉じた。
「涼しき道」が極楽浄土との解説もある。
この世の乱世に対する言葉なのでしょう。
逃げることも可能だったのでしょう。心打ちますね。
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中村文荷斎の辞世 戦国百人一首80
p239
341 酒を讃める歌 大伴旅人 [万葉集]
賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし (341)
言はむすべ 為むすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にあるらし (342)
なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ (343)
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ただの飲ん兵衛ではなかった。令和の由来となる「初春令月、気淑風和」を詠んでいた。酒壺になりたいとまで言う。
優秀な武官で長生きし大宰府長官にまでなったという。
アルコールが手放せなくても依存症ではなく、品は維持している。
情に篤く部下に慕われたのでしょう。
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大伴旅人 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ
言はむすべ 為むすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にあるらし (342)
なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ (343)
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ただの飲ん兵衛ではなかった。令和の由来となる「初春令月、気淑風和」を詠んでいた。酒壺になりたいとまで言う。
優秀な武官で長生きし大宰府長官にまでなったという。
アルコールが手放せなくても依存症ではなく、品は維持している。
情に篤く部下に慕われたのでしょう。
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大伴旅人 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ
小林良典 [幕末]
たをやめも 国のためをば 思ふなれなど ますらをの あだにすごせる
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4位5位を諸大夫や地下と言うようだが詳しい区別の仕方は分からない。
清水寺世話方だという。「世話方」は檀家を代表するリーダーのような役割だそうだ。
今年の漢字を決めて日本人全員に知らしめるだけの権威がある寺のようだ。
友人の月照は清水寺成就院の住職だったという。
1年程の活動で捕まる。病死というが、拷問で衰弱し息絶えたのでしょうから
殺されたと表現する方が正しいのでしょう。
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風雲児たち人物事典
p253
櫓の声波をうつて 腸氷る 夜やなみだ [芭蕉]
ろのこえなみをうって はらわたこおる よやなみだ
天和元年(1681) 38歳
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前年冬に深川三股の草庵に転居してきた日の夜。舟の櫓の音から腸が凍るような悲しさを感じたという。が、これまでに積み重ねた力量に自信もあるので、
不安という感情ではなく、人生40年時代の晩年という理解の下での感涙のようだ。
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雑談散歩
寒夜の辞 山梨県立大学 芭蕉db
日本武尊 [上代]
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし
嬢子(をとめ)の 床の辺に 我が置きし つるぎの大刀 その大刀はや
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兄の手足をもぎ取り父に恐れられ、熊襲建兄弟の討伐、出雲、帰ってきたら東国へ行けと命ぜられたという。
猛々しい青年だったようだ。「草那芸剣」と正確な書き方を知る。
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辞世の句最期のことばデーター倉庫
和歌の世界
p15
江南春望 <杜牧> [漢詩]
千里鶯啼いて 緑紅に映ず
水村山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺
多少の楼台 煙雨の中
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「緑紅に映ず」に、「かっこいいなぁ」と感激する。
「酒旗風」で酒屋の旗が風になびいている表現など、
漢詩の楽しさがようやく分かってきたような気がします。
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漢詩紹介 公益社団法人 関西吟詩文化協会