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安田喜八郎 [幕末]


 憂きことの 木葉(このは)とつもる 我宿は 照らす月さへ しのひ顔なる


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8月18日の政変で逃れた7卿の内の5卿が大宰府に移ってきた時に藩論に抗して保護したという。
幕府の長州征討期に、尊王佐幕の藩主黒田長溥(島津重豪の子)は、尊攘派にキレて乙丑の獄という大弾圧を行う。安田も斬首となる。

長溥は蘭癖と言われる程の開明派だったが、下の者が洋式に抵抗し、この獄でさらに
人材が枯渇し維新に出遅れたという。

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史跡訪問の日々



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