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木村兵太郎 [昭和]

 現身は とはの平和の 人柱
  
  七たび生まれ 国に報いむ


 平和なる 国の弥栄 祈るかな

  嬉しき便り 待たん浄土に



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 近衛内閣・東條内閣の陸軍省次官を理由にA級戦犯・死刑となる。
ビルマ方面軍司令官でラングーンから逃げて、外国要人や邦人の保護義務を果たさず、
厳しい批判がなされているという。
 綺麗な歌なのですが。

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木村 兵太郎 辞世の句 (陸軍大将)  JAPANなかた



p165






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77. 崇徳院 [百人一首]

 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の

  われても末に 逢はむとぞ思ふ


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 再び会えると思っているという恋の歌だが、保元の乱で讃岐に流された
崇徳院の無念の想いが込められているという解釈もあるそうだ。
そう聞くと確かに「われても末に」に激しい想いが込められている気がしてきました。
そうなのでしょう。

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山本五十六 [昭和]

 
 大君の 御楯とただに 思ふ身は

  名をも命も 惜まざらなむ


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 遺書は何度も書き更新していたようだ。達筆なのは素晴らしいですね。
手帳に死者の名を記していたり誠実実直な性格のようにも思えますが、
戦闘中に将棋をさしていたりと全身全霊を仕事に集中しなかったようだ。

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<参考>


目黒・防衛省~山本五十六の「遺書」 ネイビーブルーに恋をして



p168






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76. 法性寺入道前関白太政大臣 [百人一首]

  わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの

   雲居にまがふ 沖つ白波


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 後に保元の乱で崇徳院とは敵になるが、この時は「海上遠望」という題で詠む。
ブルーの海と白い波だが雲と区別できないという爽やかな景色を思い起こさせる。
名歌とされる程の歌を披露したが、権力闘争という過酷な現実を生きたからこそ、
こういう歌を詠みたいという解説に啓発される。

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土方歳三 [幕末]

 
 よしや身は 蝦夷の島辺に 朽ちぬとも

  魂は東の 君やまもらむ


 鉾とりて 月見るごとに おもふ哉

  あすはかばねの 上に照かと


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 二首あり、後者が明治に生き延びた島田魁が書き留めていたという。
土方の戒名を胸元に縫い付けていたそうだ。
月を見る度に自分の屍を照らすことを思うという。
明治2年5月10日に函館の武蔵野楼での別れの宴で詠んだそうだ。

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<参考>


土方歳三の辞世の句 ひすとりびあ



p148






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75. 藤原基俊 [百人一首]

 契りおきし させもが露を 命にて

  あはれ今年の 秋もいぬなり


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 「させも」が「さしも草」で太政大臣藤原忠通の読んだ歌で、「私にまかせておきなさい」という意だった。恋の歌ではなかった。
裏口入学の詐欺を思い出す。
詩人・大岡信が「平安朝の親ばかの歌」としたという。

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土佐勤皇党 [幕末]

 

 ふたたびと 返らぬ歳を はかなくも
  
  今は惜しまぬ 身となりにけり
                 武市半平太


 ちりよりも かろき身なれど 大君に

  こころばかりは けふ報ゆなり
                 大利鼎吉



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 武市は以蔵を飼い犬と思っていたのでしょう。
大利鼎吉は大坂城乗っ取り計画のために町の放火も企む。
池田屋、禁門の変から逃げてきたヤケクソでの計画であろうが合理であろうが、
大阪府民としては新選組に感謝するしかございません。

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<参考>


武市半平太 土佐の人物伝


新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【前編】

新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【後編】




p140






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74. 源俊頼 [百人一首]

 憂かりける 人をはつせの 山おろしよ

  はげしかれとは 祈らぬものを


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 恋の歌だった。解説を読んで定家が絶賛したことも納得する。
「はつせ」が大和国の歌枕で奈良の初瀬山に長谷寺があるという。
知る訳ない。そこでの恋の成就を祈るが、連れない人の態度も山風も、
ますます激しくなったという。

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甲子烈士 [幕末]

 
  われならぬ 人のしをりを たどりつつ
   
   たか根に匂ふ はなをみるかな
                     宍戸真澂


  皇の 道しるき世を ねかふかな
  
   わが身はこけの したにくつとも
                     毛利登人


  かねてより たてしこころの たゆむべき

   たとへこの身は くちはてぬとも
                     松島剛蔵


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宍戸真澂は毛利元就の代から仕えた重臣で、禁門の変に反対したにも
かかわらず粛清されたという。
翌年の2月には高杉晋作が俗論派を打倒したという。
高杉も失敗すれば死であることを当然覚悟しており、そんな高杉を尊敬し、
自分の子に晋作から命名する人が多いのでしょう。

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<参考>


甲子殉難十一烈士 戦車のブログ



p136






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73. 前権中納言匡房 [百人一首]

 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり

  外山の霞 たたずもあらなむ


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 「高砂」が単に「高い山」で「外山」が人里に近い山と遠近法の構図だという。
藤原師通邸で「遥かに山桜を眺望する」との題で詠むが、
内大臣の師通を桜に見立てて霞が立たないであなた様を見ていたいとの
寿ぎの意味で詠まれているとの解釈もできるようだ。面白いところですね。

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