52. 藤原道信朝臣 [百人一首]
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき あさぼらけかな
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ストレートな歌でした。後朝の歌を送るのが通例とのことですが、
毎度異なる歌を送るのも大変でしょう。そうすると季節の花を入れたりと
工夫が必要になってくるのでしょう。
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佐久間象山 [幕末]
時にあわば 散るもめでたし 桜花
めずるは花の さかりのみかは
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アヘン戦争の頃に藩主の真田幸貫が老中・海防掛となり、その顧問となったそうだ。
そこからオランダ語や西洋を学び、名を轟かす。
法螺吹きとも言われる。元治元年、4大人切り人斬り河上彦斎に殺される。
息子が仇討ちの為、新選組に入るが脱走し成功したという。
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<参考>
佐久間象山 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media
佐久間象山 幕末に洋学の第一人者として活躍した、天才学者の生涯について
p130
めずるは花の さかりのみかは
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アヘン戦争の頃に藩主の真田幸貫が老中・海防掛となり、その顧問となったそうだ。
そこからオランダ語や西洋を学び、名を轟かす。
法螺吹きとも言われる。元治元年、4大
息子が仇討ちの為、新選組に入るが脱走し成功したという。
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<参考>
佐久間象山 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media
佐久間象山 幕末に洋学の第一人者として活躍した、天才学者の生涯について
p130
51. 藤原実方朝臣 [百人一首]
かくとだに えやは伊吹の さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
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「え」が「得」、「やは」が反語で不可能を意味し「いぶき」が「言う」と伊吹山の掛詞で、「言うことができない」と伊吹山のさしも草、だった。燃えるのはお灸と恋だった。
技巧に凝った見事な歌だったが、評価が割れたという。
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佐野竹之助 [幕末]
桜田に 花とかばねは さらすとも
なにたゆむべき 大和魂
決然去國向天涯,
生別又兼死別時。
弟妹不知阿兄志,
慇懃牽袖問歸期。
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下のリンク先で詩吟を聞きましたが、はじめて胸が熱くなりました。
小さい頃、近所で歌っていた人や父の声に何が楽しいのか疑問に思って以来のことでした。
聞きもしませんでした。
佐野竹之助は知らなかったのですが、漢詩と詩吟を良いものだと教えてくれました。
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<参考>
公益社団法人 関西吟詩文化協会
p122
なにたゆむべき 大和魂
決然去國向天涯,
生別又兼死別時。
弟妹不知阿兄志,
慇懃牽袖問歸期。
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下のリンク先で詩吟を聞きましたが、はじめて胸が熱くなりました。
小さい頃、近所で歌っていた人や父の声に何が楽しいのか疑問に思って以来のことでした。
聞きもしませんでした。
佐野竹之助は知らなかったのですが、漢詩と詩吟を良いものだと教えてくれました。
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<参考>
公益社団法人 関西吟詩文化協会
p122
50. 藤原義孝 [百人一首]
君がため 惜しからざりし 命さへ
ながくもがなと 思ひけるかな
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第二句の「し」を過去と見抜けず、第五句「ける」を否定と思い込む。
こういう所で細かい勉強が必要だと分かる。
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ながくもがなと 思ひけるかな
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第二句の「し」を過去と見抜けず、第五句「ける」を否定と思い込む。
こういう所で細かい勉強が必要だと分かる。
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森五六郎 [幕末]
いたづらに 散る桜とも いひなまし
花の心を 人は知らずに
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桜田門外の変に参加した一人。井伊の駕籠に近づき斬りかかったという。
熊本藩邸に自首。井伊直弼の下で寺社奉行として安政の大獄を行っていた松平宗秀が尋問にやってきて、他に討つべき者がいたか聞かれたところ、森は、目の前の本人の名を言ってやったという。
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<参考>
ニコニコ大百科
森五六郎伝説 ど素人の新選組ブログ
p122
花の心を 人は知らずに
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桜田門外の変に参加した一人。井伊の駕籠に近づき斬りかかったという。
熊本藩邸に自首。井伊直弼の下で寺社奉行として安政の大獄を行っていた松平宗秀が尋問にやってきて、他に討つべき者がいたか聞かれたところ、森は、目の前の本人の名を言ってやったという。
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<参考>
ニコニコ大百科
森五六郎伝説 ど素人の新選組ブログ
p122
49. 大中臣能宣朝臣 [百人一首]
御垣守(みかきもり) 衛士(ゑじ)のたく火の
夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ
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衛士といえば新選組を辞めても死罪にならなかったことを思い出す。
結局は油小路事件で殺されたが。
恋の歌ではあっても味付けであり、この歌の真骨頂は炎の美しさだった。
衛士のたく火と自分の恋心を昼と夜で表現したのは見事でした。
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島津歳久 [戦国]
晴蓑(せいさ)めが 玉のありかを 人とは々
いざ白雲の 末も知られず
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知略に優れたが悲運が重なり秀吉の怒りを買ってしまった。
どうしようもない時はどうしようもないものです。
この世に未練なく死を受け入れ、清々しく辞世を遺す。
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<参考>
明石 白(歴史ライター)
p77
48. 源重之 [百人一首]
風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ
くだけて物を 思ふころかな
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風が激しく岩に波が打ち砕ける情景を恋の歌の序詞にした。
相手へ平然とし自分は砕けて物思いとなる。
上二句の情景で名歌となる。見事ですね。
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石田三成 [戦国]
筑摩江(ちくまえ)や 芦間に灯す かかり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり
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三成は近江人。筑摩江(琵琶湖の入り江の1つ)の夜の猟では火を灯し、朝には消される。
自分も朝になったら処刑されるのだなぁ、という意だという。
相手が家康という年齢と経験値において相手が悪すぎたのでしょう。
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<参考>
短歌のこと 光のことば 言葉のひかり
p86