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47. 恵慶法師 [百人一首]


  八重葎 茂れる宿の さびしきに

    人こそ見えぬ 秋は来にけり



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 「人」が旅客と恋人を掛けた恋の歌と思ったのですが、外れでした。
いつかは消えて行く人間の営みのはかなさを嘆くのを「幽玄」と中世となり
表現されたそうだ。

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佐久間盛政 [戦国]

  世の中を 廻りも果てぬ 小車は

    火宅の門を 出づるなりけり


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 柴田勝家側で働いていて、本能寺後に勝家が敗れ自分も捕まる。
秀吉は配下に迎えるつもりだったが、盛政は固辞。秀頼秀吉は切腹を命じた。
が、盛政は敵に切腹を賜るのは恥とし処刑を希望。斬首となったという。
見事という他ありません。

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<参考>

戦国辞世の句bot

戦国武将の名言から学ぶビジネスマンの生き方




p68






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46. 曾禰好忠 [百人一首]


  由良の門を 渡る船人 かぢを絶え

   行方も知らぬ 恋の道かな


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 久しぶりに大意が分かる。
第三句までが風景の序詞で第四句で受けて、恋の道となる。
呼ばれもしないのにみすぼらしい恰好で円融院の御幸に行き奇行扱いされたようだ。

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上杉謙信 [戦国]


  四十九年 一睡夢
  一期栄華 一盃酒

   極楽も 地獄も先は 有明の
    月の心に 懸かる雲なし


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 信長や秀吉にも影響を与えたのやもしれません。
「私の心に曇りは無い」と死ぬことができた。
かくありたいですね。

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<参考>


日本漢詩選 辭世 上杉謙信

浄土宗西山禅林寺派 西方山極楽寺 今月のことば  平成28年 8月




p54






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45. 謙徳公 [百人一首]


  あはれとも いふべき人は 思ほえで

   身のいたづらに なりぬべきかな



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 一見、失恋で絶望に落ちて自殺を考えているように見えるが、
プレイボーイの口説き文句だったようで、相手の女性も本気にせず、
「あはれとたれか言ふべき」と返したという。

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武田信玄 [戦国]


   大ていは 地に任せて 肌骨(きこつ)好し

     紅粉(べにこ)を塗らず 自ら風流


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 素のままに生きるのが良い、という意だという。
諏訪頼重は妹婿、姉は今川義元に嫁ぎ氏真は甥だったが、遠慮はなかった。
父の追放からはじまったのでしょう。最後に「風流」で終えるが、
「殺伐」でしょう。

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<参考>

武田信玄【辞世の句と名言】



p46






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44. 中納言朝忠 [百人一首]



  逢ふことの たえてしなくは なかなかに

   人をも身をも 恨みざらまし



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 「たえてしなくは」は「絶対に~しないならば」の仮定。
最後の「まし」で「~だろうに」という「反実仮想」の構文だそうだ。
「人」は「あの人」で「身」は自分であり、あの人の冷たさと自分の不幸を恨むこともなかっただろうという歌を歌合で作ったようだ。

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森迫親正 [戦国]



   いのちより 名こそ惜しけれ 武士の

    道にかふべき 道しなければ


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 若武者の首を確認したら辞世が出てきて悲しくなった。
合志常陸介は首と遺体を大友軍に届けたという。17だった。
そして現在に遺されることとなった。高潔な精神です。

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<参考>

愛国百人一首 森迫親正



p31






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43. 権中納言敦忠 [百人一首]



 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば

  昔はものを 思はざりけり


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 昔に物思いをしていたと思っていたが、今の苦悩に比べれば、たいしたことない、
という意だという。
 母が在原業平の孫で、美男子で人柄もよく、和歌、管弦に長けていたという。
よく、そこまで分かるものです。

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足利義政 [中世]



  何事も 夢まぼろしと 思い知る

   身には憂いも 喜びもなし


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 父が殺され兄が他界し、元服して正式に将軍となる。それまでは管領の執政だったが将軍親政を目指す。が、暴君だった父の影響の反動で困難が続く。
弟の義視を養子として後継にするつもりが日野富子との間に義尚が誕生し、
それが発端となり応人の乱となったという。
幕府権威が低下し、将軍だった義尚が先に他界する。
造園や銀閣寺といった自分の意思で形にできることに夢中になったようだ。
虚無感漂う辞世も無理からぬことなのでしょう。

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<参考>

第8代将軍/足利義政 - 刀剣ワールド


p24





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