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菊池武時 妻 [中世]



  故郷に 今夜ばかりの 命とも

    知らでや人の 我を待つらむ
                     菊池武時


  故郷も 今夜ばかりの 命ぞと

    知りてや人の 我を待つらむ
                        妻


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 肥後の豪族で後醍醐天皇に呼応して鎮西探題に攻め入るが戦士 戦死する。
その直前に故郷へ辞世を送るが、妻は受け取り自刃したという。

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<参考>


おいどんブログ



p16







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21. 素性法師 [百人一首]


 今来むと 言ひしばかりに 長月の

  有明の月を 待ち出でつるかな 



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 ようやく解説を読む前に大筋で意味が分かる。嬉しいですね。
女性になりきって歌っている。一夜か秋の3か月間かと説があるようだ。
出典の古今和歌集の配列から考えると一夜だそうだ。
有明の月をググり画像を確認する。

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山岡鉄舟 [明治・大正]

  腹痛や 苦しきなかに 明けがらす


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 最期、風呂に入り死装束で皇居に向かって結跏趺坐で他界。51で胃癌だそうだ。
悔いなく生きたのでしょう。「笑ってくれや」と言わんばかりの飾らない辞世でした。

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<参考>


山岡鉄舟 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media


山岡鉄舟の名言




p158







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20. 元良親王 [百人一首]


  わびぬれば 今はた同じ 難波なる

   みをつくしても 逢はむとぞ思ふ



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 宇多上皇の女御との不倫が露見し謹慎となった際に歌ったという。
「みをつくし」が海の澪標で、「身を尽くし」との掛詞だそうだ。
なんとなく定家好みの歌が分かってきたようです。

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伊達政宗 [江戸]


 曇りなき 心の月を さきたてて

  浮世の闇を 照らしてぞ行く



 くらき夜に 真如の月を さきたてゝ 

  この世の闇を 晴らしてそ行


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 最近、別の辞世が発見される。3か月の間を置き微修正されている。
母に殺されかけ、父は殺され、弟を殺したと言われている、厳しい家庭を経験し、
壮絶な人生を送る。闇を自分が晴らしてきた、照らしてきたという自負だった。
自分を月だとしたのは、「日光東照宮」と対比させ、言外に含むものがあったのでしょう。

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<参考>

伊達政宗の名言15選!五常訓から辞世の句まで、逸話を交えて意味を徹底解説!

娘宛て政宗辞世の歌発見!「石川家御留」展示中



p102







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19. 伊勢 [百人一首]

   難波潟 みじかき芦の ふしの間も

    逢はでこの世を 過ぐしてよとや
 


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 経歴を読むだけでお腹いっぱいになる。
恨みがましい歌が定家の好みのようだ。

----------(追加)

 宇多天皇との間の子が早世したとのことだ。
子どもがいて、宇多天皇の皇子との子も出産したと思いこんでいた。
気をつけなければなりません。

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豊臣秀吉 [戦国]



  露と落ち 露と消えにし 我が身かな

    浪速のことも 夢のまた夢



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 人生の儚さが滲み出ており、幼い秀頼を心配して他界する。
「浪速」を使ったのは、「何」と掛けて、何も残らないかもしれないという意やもしれません。
近い者たちですら粛清してきた秀吉だからこそ悲劇が見えたのやもしれません。

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<参考>


WEB歴史街道

秀吉が残した「名言・格言」



p84







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18. 藤原敏行朝臣 [百人一首]


  住の江の 岸による波 よるさへや

    夢の通ひ路 人目よくらむ
 

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 波までが「よる」の序詞で、昼間だけでなく夜までも、
夢でも人目を避けて逢ってくれないと、藤原敏行が女性の立場で歌っているとのことだった。
平安時代では夢に登場するかしないかは、相手の意思でもあると考えられたようだ。

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お市の方 柴田勝家 [戦国]


 さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の

   別れ(夢路)を誘ふ 郭公(ほととぎす)かな

                     お市の方

 夏の夜の 夢路はかなき 後の名を

   雲居にあげよ 山郭公(ほととぎす)

                     柴田勝家


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 お市の方は新勅撰和歌集の藤原俊成の歌が元ネタであり、
勝家は足利義輝の辞世の句を思い出し歌ったようだ。
返歌が可能な程の教養もあり武骨一辺ではなかった。ちょっと感激です。

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<参考>


お市の方 柴田勝家 辞世の句 意味・現代語訳




p64







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17. 在原業平朝臣 [百人一首]



 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川

  からくれなゐに 水くくるとは
 


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「くぐる」であっても平安鎌倉の頃は「くくる」と書き区別できなかったという。
業平は「絞り染め」を意味する「くくる」としたが、定家は「潜る」である「くぐる」と理解したようだ。

陽成院の母藤原高子が春宮の御息所だった頃、業平が屏風の絵を見て詠んだという。
分からなかったので、youtubeで「絞り染め」を調べ綺麗な歌だと感嘆する。
「くぐる」としても、紅葉の下を水が潜って流れているの意であり、これも素晴らしかった。


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