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446 亡妻挽歌 大伴旅人 [万葉集]

 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき (446)

 妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに ひとりし見れば 涙ぐましも (449)

 我妹子が 植ゑし梅の木 見るごとに 心咽せつつ 涙し流る (453)

 

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 大宰府へ共に向かったが帰路、鞆の浦、敏馬の崎の記憶に涙する。
鞆の浦は足利義昭が京を去って後に暮らした地だったが、
調べてみれば坂本竜馬ゆかりの名所もあるそうだ。
上には3つ書いただけですが、下のリンク先の歌を読む。
同じような歌もありますが、悲しみが伝わってきます。

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万葉集 現代語訳 巻三挽歌446・447・448・449・450


万葉集 現代語訳 巻三挽歌451・452・453 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ




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天狗党の乱 一 [幕末]


 たとへ身は 敦賀の里に さらすとも などか絶ゆべき 武士の道
                              米川久蔵
 
 咲初めて 風に散らなん 桜花 散りては後に 知る人ぞ知る
                              武田正義

 武士の しぼりつめたる 梓弓 引も放さず たえぬ我が身は 
                              高野昌長


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 武田正義は耕雲斎の次男だという。
狭い牢に閉じ込められ、できることは辞世を遺すことだけとなり、
生き残る者に託したのでしょう。

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天狗党の乱(てんぐとうのらん) HISTORIST 山川出版社





p263
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野ざらしを 心に風の しむ身かな [芭蕉]


 のざらしを こころにかぜの しむみかな

貞亨元年(1684) 41歳

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 当時の41は一般人の平均寿命位なのでしょう。
母が昨年亡くなったとのことなので、裕福でもあり千里の道の前には路糧も重たい
里帰りも含めての旅だった。それでも何かあれば命を失うことも覚悟しての旅だったようだ。


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山梨県立大学 芭蕉db


旅と句 俳聖 松尾芭蕉







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野村望東尼 [幕末]


 花の浦の 松の葉しろく 置霜と 消ぬればあはれ 一さかりかな

 冬ごもり こらへこらへて 一時に 花咲きみてる 春日来るらし

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 辞世で日経のリンクを張ったのは初めてでした。
高杉も野村望東尼も波乱の人生でした。
出会って僅かの期間で凝縮された時間を過ごす。
これは素晴らしいお話でした。

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野村 望東尼(ぼうとうに) 信念曲げず志士たちを感化 ヒロインは強し(木内昇) 日本経済新聞

高杉晋作と野村望東尼 ~~~英雄・高杉晋作を救った福岡の女傑~~~



野村望東尼碑





p260
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香炉峰下の山居 <白居易> [漢詩]


日高睡足猶慵起 [日高く睡り足りて猶ほ起くるに慵し]
小閣重衾不怕寒 [小閣に衾を重ねて寒を怕れず]
遺愛寺鐘欹枕聽 [遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き]
香爐峰雪撥簾看 [香炉峰の雪は簾を撥げて看る]
匡廬便是逃名地 [匡廬は便ち是れ名を逃るるの地]
司馬仍爲送老官 [司馬は仍ほ老を送るの官為り]
心泰身寧是歸處 [心泰く身寧きは是れ帰する処]
故鄉何獨在長安 [故郷何ぞ独り長安のみに在らんや]

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1首が8句ある漢詩を律詩といい、7字からなるので7言律詩というようだ。
第3・4句を頷聯といい、この詩では、
「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き 香炉峰の雪は簾を撥げて看る」だが、
『源氏物語』『枕草子』で使われているという。
平安時代には輸入され必読書となったようだ。

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公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会

香炉峰の雪ーー白居易の詩と『枕草子』 桂花@文化とことばのアドバイザー





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河内染右衛門 [幕末]



 忠と義の 道を思ひし 甲斐もなく 予が湿衣を ほさぬ悲しさ


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 対馬藩で勝井五八郎の大獄で獄死した尊攘派の1人。21歳だという。
論文の中で紹介されるようです。


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幕末対馬を一時手中に収めた勝井五八郎


近世近代対馬における地誌・村明細史料とその編纂




p256
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438 手枕 大伴旅人 [万葉集]


愛しき 人のまきてし 敷栲の 我が手枕を まく人あらめや (438)

帰るべく 時はなりけり 都にて 誰が手本をか 我が枕かむ (439)

都にある 荒れたる家に ひとり寝ば 旅にまさりて 苦しかるべし (440)

人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しくありけり (451)

かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも (455余明軍)


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 酒乱の如く荒れていた旅人だったが、妻の死が決定的だった。
萩の花が万葉集で第1位の登場だったが、「小倉山荘」の解説で知る。
薔薇や向日葵といった派手系ではなく、素朴なところが万葉集が愛されるところなのでしょう。

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万葉集の日記

万葉集 現代語訳 巻三挽歌451・452・453 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

旅人が愛した花 小倉山荘




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大浦亨 [幕末]



 後の世の 為思ふ身は 草の葉の 露と消ゆとも 何をか惜しまん



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 家老で尊攘派大浦教之助の孫で、勝井五八郎の弾圧での犠牲だったそうだ。
母が枕辺の紙片に見つけたと『辞世百人一首』で説明される。
コトバンクの説明と同様であるが、web人名辞典では土佐藩士で年齢も違っている。
ネタサイトなのやもしれませんが、chatGPTで歴史の出鱈目の原因なのやもしれません。

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大浦亨 コトバンク


人名データベース WEB人名辞典




p256
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奈良七重七堂伽藍八重桜 [芭蕉]


ならななえ しちどうがらん やえざくら


貞享元年(1684) 41歳

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漢字だけで作り、数字も778と入れる。が、「奈」もあるので、
「な」を3つにする。
奈良時代(710-784)70年7代の天皇、次は長岡京と「な」であり勉強となった。
伽藍が僧侶の修行する場所で、サンスクリットが語源だという。


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山梨県立大学 芭蕉db

現代俳句協会 四ッ谷龍








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松下鉄馬 [幕末]



 国のため 君の御為(みため)と 祷りつる 神やまことを 見そなはすらん 


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 姫路藩士。甲子(かっし)の獄で自刃となる。
自分の刀で上手くいかず検視役の刀を借りたという。30歳。
維新となり名誉が回復されなによりです。

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第9回 親藩の悲劇「甲子の獄」 播磨時報



p254
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