北条氏照 [戦国]
吹くと吹く 風な恨みそ 花の春
もみじの残る 秋あらばこそ
天地の 清きなかより 生れ来て
もとのすみかに 帰るべらなり
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兄氏政と共に切腹させられる。甥の氏直が家康の娘婿で許されたので、
近い将来、小大名ではあっても北条家は残ると考えることはできた。
徹底抗戦派の自分が切腹なのは仕方ないと清々しく死のうと思ったのでしょう。
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<参考>
北条氏照 最後の言葉~辞世の句
歴史の読み物
p76
67. 周防内侍 [百人一首]
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
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「かひなく」が「つまらなく」と「腕(「かひな)」の掛詞でした。
眠くなったので枕が欲しいと呟いたら、大納言・藤原忠家が腕を出してきたという。
現代ならセクハラだが、それを軽く返した。
更に忠家は続けたという。戯れに大笑いだったのでしょう。
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後北条当主 [戦国]
我が身いま 消ゆとやいかに 思うべき
空より来り 空に帰れば
雨雲の おほえる月も 胸の霧も
はらいにけりな 秋の夕風
北条氏政
結びしに 解くる姿は 変われども
氷のほかの 水はあらめや
北条氏直
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小田原攻めで氏直が自身の切腹で降伏したが、家康の娘婿のため、
父の氏政、叔父の氏照、松田憲秀、大道寺政繁の切腹となったという。
先に自身の切腹を申し出たことの結果としては無念だったでしょう。
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<参考>
歴史の読み物
p74
66. 前大僧正行尊 [百人一首]
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
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三条天皇の曽孫で円城寺で修行。父を10歳で失うが修行し、
鳥羽天皇の護持僧となり、天台座主にまでなる。
wikiによれば延暦寺との争いにより6日で辞任だという。
歌は山岳での修行中に見かけた桜に思いがけず語りかけたものだという。
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筒井順慶 [戦国]
根は枯れし 筒井の水の 清ければ
心の杉の 葉はうかぶとも
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父の代役を務めた男が元に戻ったことから「元の黙阿弥」が誕生したという。
松永久秀と戦い続けて勢力を回復した男だったが36は短命でした。
信長に臣従した際の恩人といえども「本能寺」に付き合うことは難しかった。
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<参考>
洞ケ峠で有名な筒井順慶とは、どんな人物だったのか web歴史街道
p69
65. 相模 [百人一首]
恨みわび 干さぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
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「わびぬれば」を思い出し混乱する。「~わび」は「疲れる」となるそうだ。
「朽ち」るのが袖と名声だった。
見えない名声を見える袖で朽ちることを表現する。
定家は相模の歌を定家選の歌集では多く採用したという。
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甲斐武田氏 [戦国]
朧なる 月もほのかに 雲かすみ
晴れてゆくへの 西の山の端
武田勝頼
黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき
思に消る 露の玉の緒
北条夫人
あだに見よ 誰もあらしの 桜花
さき散るほどは 春の夜の夢
武田信勝
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信玄亡き後、織田の膨張に抗うのは至難であり、
内部の求心力を維持し、外交をどうするか、私には皆目分かりません。
この3か月後に本能寺であり、恐ろしい時代です。
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<参考>
武田勝頼の最期とその辞世……歴史家が語る天目山、武田滅亡の瞬間とは web歴史街道
p58
64. 権中納言定頼 [百人一首]
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
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解説を読み、美しい光景が浮かんできました。
なるほど定家が選んだのも頷けました。
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あらはれわたる 瀬々の網代木
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解説を読み、美しい光景が浮かんできました。
なるほど定家が選んだのも頷けました。
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別所長治 三宅治忠 [戦国]
今はただ 恨みもあらじ 諸人の
命に代はる 我が身と思へば
別所長治
君なくば 憂き身の命 何かせん
残りて甲斐の ある世なりとも
三宅治忠
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秀吉の兵糧攻めで、一族の命と引き換えに将兵を助ける。
三宅は介錯をした家老。
三木市では大恩人として毎年子どもの日に祭りがあるそうだ。
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<参考>
戦国武将~辞世の句・名言から生き方を学ぶ~
別所公春まつり 兵庫県三木市ホームページ
p56
63. 左京大夫道雅 [百人一首]
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで いふよしもがな
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伊周の息子道雅の失恋ということだが、谷知子氏の解説によれば、
道雅には妻子がいてこの事件を機に離別したようだ。
恋が終わったからといって妻子と別れるなぞ違う話でしょう。
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