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100. 順徳院 [百人一首]

 百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも

  なほあまりある 昔なりけり 


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 『小倉百人一首』では天智天皇・持統天皇親子に始まり、後鳥羽院・順徳院親子で終わる。
定家は後鳥羽院の逆鱗に触れ出禁となるが、承久の乱後に義弟の引き立てで復活。
後堀河院に命じられた『新勅撰和歌集』での単独選集だったが、院の崩御の後に九条道家に後鳥羽・順徳両院の削除を命じられたという。
宇都宮頼綱の依頼で『百人秀歌』をまとめたのがベースだが、そこでも両院は外される。
しかし、『百人一首』に加える。ここに定家の強い意思があったようだ。
選んだ歌人と和歌は、不遇だった頼綱の心情も考え定家がまとめたという。

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ちょっと差がつく『百人一首講座』

小倉百人一首の全首を見る











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