天狗党の乱 三 [幕末]
つひに身は 露と消ゆとも 皇国の 護りに残す 日本魂
村上正義
来る燕 帰るかりがね 忘るなよ 又めぐり逢ふ 春もなき身を
檜山茂高
東照る 神のめぐみを 受くる身の 命すつべき 時はこの時
川瀬知新
-----
義人かどうかは、赤穂浪士>天狗党 なのでしょうが、
それでも死罪にすべき者たちの劣悪な環境は苛烈過ぎるでしょう。
-----
田沼意次の子孫が、張り切りすぎて…… NHK読むらじる
p264
太田六右衛門 (太田雅義) [幕末]
ゆくすゑを いかにとおもうふ 心より いとと身にしむ 淀の川かせ
惜むへき 年の暮るるを 悦ふは 身にうき事の あれはなりけり
-----
庄屋・酒造元だが飢饉で蔵を開き人望があり、ペリー来航の際は、村民から義金を募り幕府に献納だという。こういう人なので自分が多くを出したのでしょう。
文久3(1863)年「生野義挙」に加わったことで捕えられる。
獄中で病死。
-----
「生野義挙」から150年を経て(その15)義挙に参加した地元の豪農たち(4)
p260
鈴木蔵太 [幕末]
すみ渡る 月もくもれる 世の中に 何をかこちて なく千鳥かな
-----
勝井五八郎の大獄に刑死。
江戸詰家老佐須伊織を惨殺した四十余名の一人という。
「かこちて」が「嘆いて」だという。
曇は勝井で、そんな世だが、何を嘆いて死んでいこうか、
と余裕を見せているのやもしれません。
-----
勝井 五八郎
p256
天狗党の乱 二 [幕末]
手筒山 棚引渡る 雲間より 色もかはらで 見ゆる松が枝
大内義寿
大丈夫が 弦張こめし 梓弓 引きつめてこそ なぞたゆむべき
長谷川守本
玉の緒の 絶ゆとも絶えぬ 思ひこそ 我が大君の 御かげ守らん
川上清太郎
-----
天狗党の乱で生き残った者は、鳥羽伏見の戦いとなり、諸政党が家族への弾圧をしたので当然に復讐する。水戸藩は特に陰惨だった。
武田耕雲斎の孫で母が藤田東湖の娘という武田金次郎が復讐の鬼と化したようだ。
-----
天狗党の乱(てんぐとうのらん) HISTORIST 山川出版社
明治150年水戸藩最後の内部抗争「松山戦争」の慰霊法要 子孫ら参列
p263
天狗党の乱 一 [幕末]
たとへ身は 敦賀の里に さらすとも などか絶ゆべき 武士の道
米川久蔵
咲初めて 風に散らなん 桜花 散りては後に 知る人ぞ知る
武田正義
武士の しぼりつめたる 梓弓 引も放さず たえぬ我が身は
高野昌長
-----
武田正義は耕雲斎の次男だという。
狭い牢に閉じ込められ、できることは辞世を遺すことだけとなり、
生き残る者に託したのでしょう。
-----
天狗党の乱(てんぐとうのらん) HISTORIST 山川出版社
p263
野村望東尼 [幕末]
花の浦の 松の葉しろく 置霜と 消ぬればあはれ 一さかりかな
冬ごもり こらへこらへて 一時に 花咲きみてる 春日来るらし
-----
辞世で日経のリンクを張ったのは初めてでした。
高杉も野村望東尼も波乱の人生でした。
出会って僅かの期間で凝縮された時間を過ごす。
これは素晴らしいお話でした。
-----
野村 望東尼(ぼうとうに) 信念曲げず志士たちを感化 ヒロインは強し(木内昇) 日本経済新聞
高杉晋作と野村望東尼 ~~~英雄・高杉晋作を救った福岡の女傑~~~
野村望東尼碑
p260
河内染右衛門 [幕末]
忠と義の 道を思ひし 甲斐もなく 予が湿衣を ほさぬ悲しさ
-----
対馬藩で勝井五八郎の大獄で獄死した尊攘派の1人。21歳だという。
論文の中で紹介されるようです。
-----
幕末対馬を一時手中に収めた勝井五八郎
近世近代対馬における地誌・村明細史料とその編纂
p256
大浦亨 [幕末]
後の世の 為思ふ身は 草の葉の 露と消ゆとも 何をか惜しまん
-----
家老で尊攘派大浦教之助の孫で、勝井五八郎の弾圧での犠牲だったそうだ。
母が枕辺の紙片に見つけたと『辞世百人一首』で説明される。
コトバンクの説明と同様であるが、web人名辞典では土佐藩士で年齢も違っている。
ネタサイトなのやもしれませんが、chatGPTで歴史の出鱈目の原因なのやもしれません。
-----
大浦亨 コトバンク
人名データベース WEB人名辞典
p256
松下鉄馬 [幕末]
国のため 君の御為(みため)と 祷りつる 神やまことを 見そなはすらん
-----
姫路藩士。甲子(かっし)の獄で自刃となる。
自分の刀で上手くいかず検視役の刀を借りたという。30歳。
維新となり名誉が回復されなによりです。
-----
第9回 親藩の悲劇「甲子の獄」 播磨時報
p254
海津幸一 [幕末]
竹の杖 つくともつきし 老いてなほ うき節しけき 世をたとる身は
-----
参勤交代の阻止に成功するが、家禄没収。長州出兵に反対するが佐幕派の勝利。
乙丑の獄で斬首。気骨ある人だったようだ。
-----
海津幸一 コトバンク
p260