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松永貞徳 [江戸]



 露の命 消る衣の 玉手箱 ふたたひかけぬ みのりなるらん


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 室町俳諧から100年停滞した後に江戸初期で復活させたという。
彼自身は中世歌学の集大成が本意であり俳諧は余技だったが、
熱心な門弟に担がれ積極的に転じ巨大な流派を形成したようだ。
後に蕉風俳諧に繋がったという。

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【蕪村菴俳諧帖30】貞門俳諧




p88
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大田南畝 [江戸]



 これまでは 他人の事だと 思うたに 今度は俺か これはめいわく


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劇作者、狂歌師。さすが狂歌師の粋なのでしょう。
「めいわく」は死が自分にとって迷惑であり、
自分の死が家族や弟子たちにとって迷惑にもなると両方含んでいるのでしょう。

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没後200年 江戸の知の巨星大田南畝の世界




p244
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金井三笑 [江戸]



 狂言も かきつくしけり 今さらに 何をしからん 命毛の筆


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22で帳元だったが、狂言作家に転身したという。
100本以上の作品を書いたが、残ったのは1つだけ。
本読みという作業中は帯刀し威嚇して俳優を黙らせることで、
劇作の主権は俳優でなく狂言作者であるという気概を見せたそうだ。

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金井三笑 歌舞伎用語案内




p243
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赤穂浪士 三 [江戸]



 地水火風風のうちより 出でし身の たどりて帰る 元のすみかに
                          早水藤左衛門

 梓弓 春近ければ 小手の上の 花をも雪の ふぶきとや見ん
                          神崎与五郎

 先立ちし人も 有りけりけふの日を 終の旅路の 思ひ出にして
                          富森助右衛門



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神崎は商人になりすまし吉良邸を内偵したという。
赤穂出身とバレないように方言を消し偽の経歴を覚えるなどの努力もしたのでしょう。

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赤穂浪士四十七士の辞世 歌人・朝倉冴希の風花DIARY



p248
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赤穂浪士 二 [江戸]



 忘れめや 百に余れる 年を経て 事へし代々の 君がなさけを

 迷はじな 子と共に行く のちの世は 心の闇も 春の夜の月
                            小野寺 十内

 かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路
                            原 惣右衛門

 思ひきや 我武士の 道ならで かかる御法の 縁にあふとは
                            木村 岡右衛門 



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 『刃傷松の廊下』をよく歌ってましたが、嫌われるのでしょう。

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赤穂浪士四十七士の辞世 歌人・朝倉冴希の風花DIARY



p248
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赤穂浪士 一 [江戸]



 草枕 むすぶかりねの 夢さめて 常世にかへる 春のあけぼの
                            間 喜兵衛

 君がため 思ひぞ積もる 白雪を 散らすは 今朝の嶺の松風
                            吉田 忠左衛門

 命にも 易(か)へぬ一つを 失はば 逃げ隠れても 此れを逃れん
                            村松 喜兵衛 



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昔、正月12時間ドラマを食い入るように見ました。
悪人吉良の陰湿ないじめにより浅野内匠頭の堪忍袋の限界となる。
失業した各人に感情移入していましたが将来の自分を感じていたのでしょう。

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赤穂浪士四十七士の辞世 歌人・朝倉冴希の風花DIARY



p248
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義弁 [江戸]



 幾たびか きつつなれにし 唐衣 けふぬぎすてて かへる故郷


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 「信濃の釈迦」と言われていたという。
中国かぶれだったが死ぬ間際になって郷土愛を取り戻したということでしょうか。
女性の場合は「十二単」の一番上に着る上衣のようだ。

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義弁 コトバンク




p243
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小西来山 [江戸]



 吾はただ 生まれた咎で 死ぬるなり それでうらみも 何もかもなし



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 『辞世百人一首』の解説ではアル中としか読めなかったが、
下の「來山の句碑」のページではいくつもの句碑の写真があり感激する。
大阪人とはいえ全く知らず恥じ入るばかりです。
私は、歌碑や句碑の野望はありませんが、数首、数句の秀作を遺したいところです。

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來山の句碑




p243
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羽生郷右衛門 [江戸]


 世の中を 廻り廻りて 因幡路に 暫く足を 引き臼となる


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 1686年に他界している剣豪だが、大河『武蔵 MUSASHI』の放送時に
武蔵とは縁がない鳥取市が剣豪で盛り上がったようだ。
由井正雪の乱でも取り調べを受けてその後に鳥取藩主に見いだされたりと、
なかなかの豪快な人のようだ。


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道場破りを追い返した剣豪 紀行歴史遊学



p243
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元杢網・知恵内子夫妻 [江戸]


 あな涼し 浮世のあかを ぬぎすてて 西に行く身は もとのもくあみ
                              (元杢網)

  六十(むそぢ)あまり 見はてぬ夢の 覚むるかと 
                 思うもうつつ 暁の空  (知恵内子)

  

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 江戸中期の狂歌師夫妻だそうだ。元杢網(もとのもくあみ)は湯屋を経営していたという。それが「あかをぬぎすてて」に繋がったようだ。
天明期に活躍したようだ。寛政の松平定信により、林子平の『海国兵談』が出版禁止、
恋川春町の自殺を経て、活動していたようだ。

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元杢網(モトのもくあみ) 生まれた元の地にねむる いしぶみ



p244
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