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清水宗治 [戦国]



  浮世をば 今こそ渡れ 武士の

    名を高松の 苔に残して



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 備中高松城主の清水宗治の辞世。秀吉による水攻めが行われていたが、
本能寺の変により秀吉が和睦条件に備中・美作・伯耆の3か国と宗治の首を求める。
秀吉の用意した小舟に乗り、舞を披露し辞世を残した。
「憂き世」を渡って彼岸へ行くことと、小舟に浮いていることのイメージを重ねていた。名を高めること、高松、高い松と永劫を意味する苔を掛けていた。
死に際に見せた、舞と教養だった。

 
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<参考>


坂本野原 和歌・短歌 & 音楽大好きブログ


清水宗治 辞世の句の碑





p60







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7. 安倍仲麿 [百人一首]


 
  天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 
    三笠の山に 出でし月かも



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  奈良時代の遣唐使だったが仕えた玄宗皇帝に気に入られ30年間引き止められたという。一度帰国が許された際に歌ったが、座礁し結局終生仕えたという。
この歌は平安時代に誕生したが、仲麿作として伝えられた可能性が高いという。
作った人も立派なことです。

 
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ちょっと差がつく『百人一首講座』


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斎藤道三 [戦国]



  捨ててだに この世のほかは なき物を

    いづくかつひの すみかなりけむ


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 『麒麟がくる』の道三は光秀が主人公で道三は既に大名だったのですが、
『国盗り物語』では一代で成り上がる過程を描いていたので、アクの強い面白さでした。 


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<参考>

戦国武将~辞世の句・名言から生き方を学ぶ~

国盗り物語 総集編 前編

麒麟がくる (17)「長良川の対決」




p32







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6. 中納言家持 [百人一首]



   鵲の 渡せる橋に 置く霜の

     白きを見れば 夜ぞ更けにける
  


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  鵲というカラス科の鳥が羽を広げたのを橋に喩えるが、それが七夕の天の川に架けた橋という説と、奈良の平城京の御階と解釈することもできるそうだ。
前者は、唐詩選の張継の詩を元にしたもので冬の星の輝きを表現しているそうだ。
谷知子氏によれば、『家持集』に入っているが家持作ではないとのことでした。
 
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大内義隆 [戦国]



討つ者も 討たるる者も 諸ともに

    如露亦如電  応作如是観



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  月山富田城での敗戦を機に遊興に向かい、陶晴賢の謀反で自害となる。
 大河『毛利元就』で風間トオル氏だったが、何をしてもかっこよかったですね。
 当時はコンプレックスの塊だったので、陶晴賢びいきでした。


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<参考>


大内義隆 最後の言葉 辞世の句 Tactical-Media


大内氏館




p32







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5. 猿丸大夫 [百人一首]


  奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の

    声聞く時ぞ 秋は悲しき




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   中国の「悲秋」という概念から秋を悲しむべき季節と考えたようだ。
  雄鹿が雌鹿を想って鳴くと考えられ奈良の昔からのテーマとなったという。
  踏み分ける主語が鹿か人かは論争があったが、鹿が妥当だそうだ。


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山下奉文 [昭和]

  野山わけ 集むる兵士 十余万

    還りてなれよ 国の柱に



  満ちて欠け 晴れと曇りに かわれども

    とわに冴え澄む 大空の月


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  マレーの虎、マレー攻略作戦の司令官。二か月でシンガポールを陥落させる。
 東條に満洲へ飛ばされ、戦争末期にフィリピンで敗戦。絞首刑。

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<参考>


昭和の悲劇 山下奉文 (文春文庫)

昭和の悲劇 山下奉文 (文春文庫)

  • 作者: 福田 和也
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2008/04/10
  • メディア: 文庫





辞世の漢詩 後世に伝えたい 旧陸軍・山下大将 コピー 福井の水島さん保有 (中日新聞)


山下将軍「辞世の漢詩」 (共同ニュース)





p178





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4. 山辺赤人 [百人一首]



  田子の浦に うち出でてみれば 
 
   白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ




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 「白妙」が真っ白の布で「富士」の枕詞で、「つつ」は、見えないが想像で歌っている美しさがあった。藤原定家が「新古今集」から選んだが、元は「万葉集」で定家が選んだそうだ。元は、素朴な表現だった。

 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」


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浅野長矩 [江戸]

   
   風さそふ 花よりもなほ 我はまた

    春の名残を いかにとやせん


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 吉良に何をされたか知らないが、短気を起こして家臣とその家族をどん底に落としながら、
綺麗な辞世を残す神経が理解できなかったのですが。
 

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<参考>


浅野内匠頭 最後の言葉  辞世の句 Tactical-Media

忠臣蔵の物語 浅野内匠頭「辞世の句」本当にあったの?




p112







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斎藤利三 [戦国]

  消えて行く 露の命は 短夜の

   明日をも待たず 日の岡の峰



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 春日局の父。本能寺に参加。息子2人も死亡。
 幸い、娘のお福は3歳で、母方の稲葉家で育てられた。
 光秀がその気なったのなら従うしかないでしょう。
 

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<参考>


辞世の句最期のことばデーター倉庫


斎藤利三「敵は本能寺にあり」←これが今の定説


麒麟がくる (44)「本能寺の変」(最終回)




p62







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