37. 文屋朝康 [百人一首]
白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
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葉の上の水滴を白露とし、真珠に見立てている。
糸を通していない散った状態の真珠とし、それが美だとした。
正統派の和歌なのでしょう。
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武田耕雲斎 [幕末]
咲く梅の 花ははかなく 散るとても
馨(かお)りは君が 袖にうつらん
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水戸は尊王攘夷の聖地であり過激だった。
耕雲斎は諸政党が共通の敵だったこともあり藤田小四郎を諫めるつもりだったが、
総大将を引き受けることになったと『青天を衝け』で学んだ。
最期に綺麗な辞世を残し現代に伝わったのが救いなのでしょう。
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<参考>
咲く梅の(武田耕雲斎) 和歌の世界
武田耕雲斎等の墓
p138
36. 清原深養父 [百人一首]
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
雲のいづこに 月宿るらむ
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月が曇のどこに隠れているのだろうかと擬人法を使った情景の歌だった。
清少納言の曾祖父だという。
『枕草子』の初段に「夏は夜。月のころはさらなり。」とあるという。
『古今和歌集』『深養父集』にもあり、当然に清少納言は読んでいたからなのでしょう。
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清原深養父 古今和歌集の部屋
深養父集 -増補-
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長州三家老 [幕末]
今更に なにあやしまむ 空蝉の
よきもあしきも 名のかはる世に
益田親施
よしやよし 夜を去るとても 我が心
御国のために なほ尽きばや
国司親相
くるしさは 絶ゆるわが身の 夕煙
空に立つ名は 捨てがてにする
福原元僴
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「禁門の変」積極派で3人とも自ら兵を率いるも敗退。
第一次長州征討で参謀の西郷隆盛が降伏条件に、「3家老の切腹」と「藩主父子のわび状」、「逃亡中の公卿を大宰府へ移居」、「山口城の破棄」を提示し成立。
三家老は、それで藩が救われるのならと不平は無かったでしょう。
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<参考>
三家老(益田親施 、国司親相 、福原越後)の切腹 大河ドラマに恋して
p134
35. 紀貫之 [百人一首]
人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香に匂ひける
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宿の女主人から、忘れてたのではありませんか、宿は昔からございます。というようなことを言われたのに梅の花を折って切り返したという。
男性が漢字で女性はひらがなという時代に女性を装いひらがなで『土佐日記』を書いたという。また『古今和歌集』の編纂と「仮名序」を書いた平安時代の大文豪だった。
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清河八郎 [幕末]
魁がけて またさきがけん 死出の山
まよいはせまじ 皇の道
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中山忠愛に諮り青蓮院宮の名で全国から志士を募ったそうだ。
彼らが天誅を繰り返すことになる。が清河は浪士組を結成する。
将軍警護の目的だったが攘夷に変更し孝明天皇から勅諚をもらう。
京都に残った者が新撰組となる。清河は幕府から危険人物とされ暗殺される。
孫が作家の柴田錬三郎に嫁ぐ。
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<参考>
清河八郎 辞世の句
p126
34. 藤原興風 [百人一首]
誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに
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長寿は望むものであっても友人は他界していく。
定家は74歳だったので深く共感し、苦渋をかみしめながら選んだようだ。
高砂の松は有名で、謡曲『高砂』の題材になったという。
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梅田雲浜 [幕末]
君が代を おもふ心の 一筋に
我が身ありとも 思はざりけり
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藩主酒井忠義に建言して藩籍をはく奪されたという。
ペリー来航後、尊攘運動の先鋒となったようだ。
病床の妻と飢えに泣く子を置いてきたという。
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<参考>
梅田雲浜自筆の『訣別』
新・立命館大学戦史研究所
p120
33. 紀友則 [百人一首]
ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
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リズミカルな歌だと思えば、上の句がハ行だった。それもテクニックだった。
「しづ心」で擬人法を使っている。
紀貫之のいとこで『古今和歌集』の選者でもあり、名歌だという。
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橋本左内 [幕末]
さみだれの かぎり有りとは しりながら
照る日をいのる こころせはしき
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春嶽の側近となり安政の大獄により25で処刑。
将軍継嗣問題で慶喜擁立で動いていたが、井伊直弼に殺される。
20代で諸藩の要人の間を行き来して信望集めている左内に対して、
32まで部屋住みだった直弼は、才覚への恐れが生じたのやもしれません。
辞世はいくつかあるようです。
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<参考>
橋本左内の辞世の句や最後の言葉は? 足長パパのブログ
p120
照る日をいのる こころせはしき
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春嶽の側近となり安政の大獄により25で処刑。
将軍継嗣問題で慶喜擁立で動いていたが、井伊直弼に殺される。
20代で諸藩の要人の間を行き来して信望集めている左内に対して、
32まで部屋住みだった直弼は、才覚への恐れが生じたのやもしれません。
辞世はいくつかあるようです。
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<参考>
橋本左内の辞世の句や最後の言葉は? 足長パパのブログ
p120