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北条貞俊 貞俊妻 [中世]


 皆人の 世に有時は 数ならで

  憂にはもれぬ 我身也けり
               北条貞俊


 誰見よと 信を人の 留めけん 

  堪て有べき 命ならぬに
               貞俊妻

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 高時に冷遇され後醍醐天皇に降るが、北条殲滅の方針となり斬首となったという。
太刀と小袖が形見として届けられたが、妻はその場で自害したそうだ。

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北条 貞俊 Henkipedia



p14
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北条基時 [中世]


 待てしばし 死出の山辺の 旅の道

  同く越て 浮世語らん

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1315年に執権になるも1年で交代。高時への中継ぎだった。
この頃は内管領の長崎高資に実権があった。
新田義貞が鎌倉へ攻めてきて激戦の末自害したという。
先に戦死した息子へ「待て」と語っている。

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鎌倉幕府13代執権/北条基時 - 刀剣ワールド



p14
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足利義尚 [中世]

 


 ながらへば 人の心も 見るべきに

  露の命ぞ はかなかりけり


 出づる日の 余の国までも 鏡山と

  思ひしことも いたづらの身や



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8代将軍義政が弟義視を還俗させ後継者としたが義尚が誕生し応仁の乱となったと説明されることがあるが、実は義視を先に将軍にして義尚へ継ぐことにしたようだ。
が、大名家の抗争に将軍継嗣問題が利用されて応仁の乱になったという。
父母に実権を要求してきたが25にして死亡。

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<参考>


刀剣ワールド



p26






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足利義政 [中世]



  何事も 夢まぼろしと 思い知る

   身には憂いも 喜びもなし


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 父が殺され兄が他界し、元服して正式に将軍となる。それまでは管領の執政だったが将軍親政を目指す。が、暴君だった父の影響の反動で困難が続く。
弟の義視を養子として後継にするつもりが日野富子との間に義尚が誕生し、
それが発端となり応人の乱となったという。
幕府権威が低下し、将軍だった義尚が先に他界する。
造園や銀閣寺といった自分の意思で形にできることに夢中になったようだ。
虚無感漂う辞世も無理からぬことなのでしょう。

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<参考>

第8代将軍/足利義政 - 刀剣ワールド


p24





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千葉胤直 [中世]



   見てなげき 聞きて弔ふ 人あらば

     我に手向よ 南無阿弥陀仏


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 下総守護千葉氏第16代当主。初代は平常兼。
一族の争いで1455年に嫡男も自刃し、千葉嫡流が途絶え、
甥から武蔵千葉氏、下総千葉氏となる。

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<参考>


北総の名家 「千葉胤直・胤宣・けん族の墓」



p19






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山名氏清 [中世]



  取りえずば 消えぬと思へ 梓弓

   引きて帰らぬ 道芝の露


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 楠木正成の孫の正勝が義満へ奇襲したのを防いだ功績があったが、
6分の1もあった11国の山名家を弱体化させるための義満の介入に利用され、戦うことになり、戦死したという。
大河『太平記』最終回を見終えたが、尊氏と違い義満は根っからの陰謀家なのかと、恐ろしくなりました。

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<参考>


明徳の乱 - 刀剣ワールド

山名氏清碑 KA160



p18







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菊池武時 妻 [中世]



  故郷に 今夜ばかりの 命とも

    知らでや人の 我を待つらむ
                     菊池武時


  故郷も 今夜ばかりの 命ぞと

    知りてや人の 我を待つらむ
                        妻


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 肥後の豪族で後醍醐天皇に呼応して鎮西探題に攻め入るが戦士 戦死する。
その直前に故郷へ辞世を送るが、妻は受け取り自刃したという。

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<参考>


おいどんブログ



p16







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楠木正行 [中世]



   かへらじと かねて思へば 梓弓

     なき数に入る 名をぞとどむる


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大河『太平記』で正行が死んだばかりなので、感情高ぶってます。
北畠親房の正行に死んでこいと言わんばかりの圧力が酷でした。
顕家の代わりに息子と思うておる、命を惜しめ、とは絶対言わない。

「梓弓」は現代語訳する際は訳さないということだった。
「帰る」「入る」が弓の縁語で、「なき数に入る」が亡くなった者たちに自分も加わるということだった。


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<参考>

短歌の教科書



p16







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武蔵坊弁慶 [中世]



  六道の 道のちまたに 待てよ君

   後れ先立つ 習ありとも
  


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 田辺市の弁慶像は立派で思わず感激したのですが、五条大橋は何なのでしょう。
どこが作ったのかは知りませんが、私の理解を超えるセンスでした。

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<参考>


弁慶 最後の言葉~辞世の句  Tactical-Media


源義経にも仕えた武蔵坊弁慶の故郷 田辺市


五条大橋 牛若丸弁慶像




p10







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源義経 [中世]



  後の世も 又後の世も 廻り会へ

   染む紫の 雲の上まで


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  『義経記』を「ぎけいき」と読むと知る。
  室町時代の中期頃までに書かれた軍記物語で作者不明のようだ。
  感情移入してくる見事な辞世でした。


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<参考>

源義経 最後の言葉  Tactical-Media

源義経が読んだ和歌ってありますか?

鎌倉殿の13人 (20)「帰ってきた義経」



p8







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